記憶の中には、「におい」もあるに違いありません。あの時の、あの場所の、あのにおいです。今回、訪ねた街に、電車から降り立った途端、自分の記憶の中にあるのと同じにおいを、「あっ、あの時の匂いだ!」と感じたのです。駅の横にあった食堂からでも、ガソリンスタンドや、喫茶店からのにおいではありませんでした。
1970年に、初めて、この地域を訪ねたのです。同じ一月だったでしょうか、研修会が開かれて、参加したのです。ニューヨークの会社から講師を迎えて、持たれたものでした。「遠江(とおとうみ)」と呼ばれてきた静岡県西部の街です。遠州灘から吹いてくる潮風、真っ青に澄み切った空、まっ帰路に熟したみかん、お茶の香が何となくしてくる街で、四日間ほど一緒に寝泊まりをして学んだり、話し合ったりしました。
当時は、公民館や結婚式場などを借りて、セミナーが持たれていました。経費を節約しなければならなかった中小企業だったからです。それはそれなりに、懐かしく、しかも充実し、習得したことも驚くほどのものがあったのです。あの時の講師は、東南アジアやアフリカの支社にも出かけて、同じようなセミナーを持っていたようです。ボクサーの過去を持った異色のビジネスマンだったのです。あの頃の情景が、においと共によみがえってきたのです。
若かった私たちは、夢を語り合ったり、将来を自分の心中に思い描いたり、結婚や家庭などと言った個人的なことにも思いを向けていたのです。四十数年も前のことですが、あの時があって今があるのだということが分かります。先週末、その頃の同僚の家を訪ねたわけです。「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや!」とは、「論語」にある一節だったでしょうか。孔子も、友を歓迎し、友と語らうことを楽しんだのです。彼と夫人も、私たちの来訪を喜んでくださったのです。こんな嬉しいことはありません。生きているって素晴らしいことですね!
(写真は、「温州みかん」です)