私たちの国では、「人の口に戸は立てられぬ」と言います。つまり、世間の人の噂話は、防ぐことができないという意味です。それでも、「人の噂も七十五日」とも言うのです。故事ことわざ辞典によりますと、『・・・世間で人があれこれ噂をしていても、それは長く続くものではなく、やがて自然に忘れ去られてしまうものだということ。』とあります。ヤンチャな四人兄弟だった私たちは、住んでいた街では、好いにつけ悪いにつけ、どうも噂話の対象だったようです。きっと近所や街の人たちは、『この兄弟は、将来どうなるんだろうか?』と、一抹の心配をしてくれていたのではないかと思うのです。
ところが、豈図らんや(あにはからんや 「意外にも」との意味です)、四人とも、父に大学に行かせてもらい、無事に卒業し、世間並みの仕事につくことができたのです。一番上の兄は、まだ現役で働いています。すぐ上の兄は、退職後も、『ぜひ!』と請われて、同じ職場で嘱託で働いていますし、弟も退職後、職場に自分の部屋をもらい、現職の若い教員の相談相手などの仕事を続けているのです。三男坊の私も、定年のない仕事をしておりましたが、それを辞して、不思議な導きで大陸に渡って来て、仕事の機会を得ております。来月末には、八年目に入ろうとしているのです。「興味津々」の対象だった私たちの子どものころのことを知っている人は、もう少なくなってきていると思うのですが、恥ずかしくない人生を生きてきたことを知られたら、きっと安心されるのではないでしょうか。
一昨年の3月11日の「東日本大震災」、その時に生じた津浪によって壊滅的な被害を受けた「福島第二原子力発電所」のメルトダウンの厳粛な事故の話題も、じょじょに少なくなってきているのでしょうか。「七十五日」の何倍もの日が経っているのですが、距離的に離れ、時間が経過すると、厳粛さが薄れてしまうように感じられます。それでも、『汚染された水が海水に流れ込んだり、地下水系に影響を与えている!』というニュースを時々聞きます。時間は経過しましたが、その厳粛な事故の影響力が少なくなってきているのではありませんし、時間と共に軽くなっていくことなどないのです。1984年4月26日に起きた「チェルノブイリ」の原発事故から、30年近く経ちますが、まだ30キロメートル以内には、立ち入り禁止が続いているようです。
灼熱の夏を迎え、電気量の不足が話題になると、「原子力発電所」の再稼働が話題になっています。大気も海水も地下水も汚染され、それらとかかわる農作物や魚介類を摂取する私たちにとっては、致命的な問題が残っているのにです。時々思うのですが、原子力を開発した知能や叡智で、原子力がもたらす問題を解決していくことができないでしょうか。『放射能の影響を中和させるような、画期的な物質の発明がなされたらいいのに!』と、心から期待しているのですが。「中和剤」を投入すると、無害な物質に変化することを願いつつ、「安心」を求める炎暑の七月であります。
(写真は、写真は、七月の花の「ミヤコグサ」です)