「日本語科」の教科書に、「四季の歌」が取り上げられています。作詞と作曲は、荒木とよひさ、歌は芹洋子で、1971年に発表されたものです。
春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような ぼくの友だち
夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような ぼくの父親
秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような ぼくの恋人
冬を愛する人は 心広き人
根雪をとかす大地のような ぼくの母親
ある時、学生のみなさんに、『あなたは〈春夏秋冬〉で、どの季節が好きですか?』と聞きましたら、多くの方は、案の定、「春」と答えたのです。とりわけ中国のみなさんは、厳しい冬の終わることを願い、春の到来を告げる元旦を、「春節」として歓迎し祝うのですから、その気持ちは一入(ひとしお)なのでしょう。私たちが子どものころに、『もういくつ寝るとお正月・・・』と歌って、正月を待ち望んだ思いよりも、はるかに強く、「春」の到来を切望しておいでです。
いったい、いつから春になるのでしょうか。私たちが実感する「春」は三月から五月でしょうか、「夏」は六月から八月、「秋」は九月から11月、「冬」は12月から二月というように感じているのですが。俳句の世界では、一月から三月が「春」、四月から六月が「夏」、七月から九月が「秋」、十月から十二がつが「冬」になります。最も平均気温の高い七月は、先取りの「秋」なのですが、酷暑や炎暑の中で、全く実感できないのに戸惑いを覚えてしまう。とても不思議なのは、自然界は、一歩も二歩も早く、次の季節の到来を告げているのを感じます。暑い日の夕方、『あっ、もう赤とんぼが飛んでいる!』という新しい発見をすることがあります。まだ七月になったばかりなのに、「秋」を感じさせる光景を話題にするのは、少々早すぎるでしょうか。
「冬」の十二月に、母は私を産んでくれたのですが、その反動のように「夏」が好きです。それでも、最近の暑さには閉口してしまいます。子どのころには、今のような扇風機も空調もありませでした。あったのは、団扇(うちわ)や行水や浴衣だったでしょうか。縁側に出て、父や兄弟といっしょに花火をしたり、蚊取り線香の匂いをかぎながら食事をし、夜は蚊帳(かや)をつって、その中で寝ていました。窓は開け放たれていたのですから、今では信じられないほどに、治安が良かったのかも知れません。それでも『暑い!』と感じた記憶がないのです。
両親と兄たちと弟との身体的な距離も、精神的な距離も本当に近かったように思うのです。自分用の部屋や机があリませんでしたが、思い思いに家の中で居場所を見つけては勉強したり、ケンカしたりの毎日でした。兄の後について、多摩川で泳いでいました。中央線の鉄橋の下の流れに潜っては、魚影を見つめたりしたのです。帰りに肉屋で買ったアイスボンボンが美味しかった!あのころの「夏」の日が、走馬灯の様に思い返される、カンカンと照りつける華南の朝であります。
(写真は、七月の代表的な花「女郎花(おみなえし)」です)