「三つ子の魂百までも」という諺があります。「故事ことわざ辞典」によりますと、『幼い頃の性格は、年をとっても変わらない。』とあります。それだからでしょうか、「鉄は熱いうちに打て!(鉄は、熱して軟らかいうちに鍛えよ。精神が柔軟で、吸収する力のある若いうちに鍛えるべきである、というたとえ。〈コトバンク〉)」と言われて、幼い頃から「躾(しつけ)」の大切さを親に求めてきております。
戦争に負けて、日本が連合国の占領下に置かれた時、日本の街々に進駐して来たのはアメリカ軍でした。それと同時に、アメリカの物、価値観、文化、教育などが怒涛のように日本に入り込み、それらを日本人は受け入れ、吸収してきました。子どもの「躾」もそうでした。これは一般論ですが、アメリカでは、産まれてくると、子どもはすぐに両親とは別の部屋に寝かされます。少々極端な言い方をしますと、泣いても叫んでも、真っ暗な部屋の中で、幼い日から一人で過ごすのです。それで「独立心」とか「自主性」とか「個人主義」というものが、早くに身につくのでしょうか。ところが日本式の子育てというのは、「添い寝」をさせます。お父さんとお母さんの間で、「川」のようにして床につくのです。また、お母さんの背中にぴったりと接触する「抱っこ」と「おんぶ」もあります。
総じて、アメリカ人の親子の間には地理的な距離が置かれ、それは心理的な距離も生じているということになります。私たちの目からすると、『孤独で寂しそうで、何となくカサカサと乾いている!』と言った印象がありました。それに対して日本の親子の地理的、心理的な距離は、極めて近いのです。アメリカ人に言わせますと、『日本の親子はベタベタしすぎだ!』と思われていたようです。しかしどちらが好いのでしょうか。それぞれ親の確信が大切に違いありません。私たちが子育てをしたのは、70年代からでした。生まれた2ヶ月の長男を連れて、アメリカ人実業家の家族と共に、東京から美しい自然にあふれた中部日本の地方都市に引越しをしました。
長男が、グズグズした時に、このアメリカ人の方は、『雅仁、◯◯をスパンクするときは今です!』と私に言いました。私は、その勧めを断る理由がなかったので、それをしたのです。これを皮切りに、「アメリカ流スパンク」を始めて、四人の子育てをしたわけです。「スパンク」とは、”Spank”という英語の日本語読みで、『手やしなやかなムチを用いて、尻を打つこと。』なのです。つまり、「躾の方法」であったのです。「子どもの強い自我を打ち砕く」ことが必要だとされて、私の恩師であるアメリカ人は、二人の息子さんを、「スパンク」によって躾けてこられていたのです。ある時、名古屋で家庭裁判所の調査官をされている方の講演を聞いたのです。家庭問題を調べてきたこの方は、「愛は裁かず」という本を書いていました。彼は、『私は子どもたちを一度も叩いたことがありません!』、『そうやって子どもを育て上げました!』と言っていました。「体罰禁止論者」だったのです。
この講演を聞いたのは、私の四人が、だいぶ大きくなってきていました。もう「スパンク」の時期は過ぎていたのです。2つの方法論があります。しっかり成人した長男に、この「スパンク」について聞いたことがありました。『スパンクは多過ぎたよ。しかし僕にとっては好かった。そう今思っている!』と言ってくれたのです。今二人の子どもの父親になっている彼は、私のように「強固な意思を砕くスパンク」はしていないようです。『自分の子共は、痛さで納得させたくない!』と思っているのかも知れません。もちろん、私の「スパンク」には、「原則」がありました。「短気を起こした時」、「約束を守らなかった時」、「不従順な時」に限っていました。叩くときには、『なぜ叩くのか?』を説明しました。そして叩き終わって泣いている彼らを、拒絶しないで抱きかかえていました。
もし、「もう一度父親をするならば」を考えますと、「スパンク」を奨励した恩師は永遠の故郷に帰還してしまっていますので、『今です!』と言えませんが。きっと、臨機応変に、「裁く」と「裁かない」、「打つ」と「打たない」の間で迷うかも知れません。また、子どもたちに会って話すことがあったら、聞いてみることにしましょう。あの調査官を、名古屋まで車で送った時に、彼がご馳走してくれた「五平餅」の味が懐かしく思い出されます。
(写真は、真夏の高山植物の「チングルマ」です)