八十八夜

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「茶の花」季節の花300

    夏も近づく八十八夜
    野にも山にも若葉が茂る
    あれに見えるは茶摘みぢやないか  
    あかねだすきに菅(すげ)の笠

    日和(ひより)つづきの今日このごろを
    心のどかに摘みつつ歌ふ
    摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
    摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ

 この歌は、文部省唱歌の「茶摘み」です。この歌の作詞者と作曲家は不詳のようです。静岡に知人がいたり、夏には海水浴のためによく出かけ、「茶畑」の間を、たびたび車で走ったことが思い出されます。歌謡曲にも、『清水港の名物は お茶の香りと・・・(「旅姿三人男」の歌詞ですが)』と歌われる、お茶の名産地です。

 いつでしたか、おみやげで頂いたお茶が、美味しくて、『こんなに美味しいお茶があるんだ!』としきりに感心して、感謝したことがありました。森町のお茶でした。地元の人は、どこの、どの時期のお茶が美味しいかを、よく知っておられるのですね。そう言えば、『これは、《岩茶》と違って、特級のお茶です!』と言っていただいたことがありました。武夷山の数本しかないお茶の木から生産されるもので、政府御用達の銘茶でした。こっそり値段をお聞きしたら、『一万元(日本円で15万円です!)』と、そっと教えてくれました。口が曲がりそうで、いまだに飲めなくて、茶箪笥の中に仕舞い込まれています。100グラムの容量です。

 今日は、「立春」から数え始めて八十八日目、「八十八夜」にあたります。季節季節に、様々な農作業や行事があって、日本は独特に風情のある国ではないでしょうか。木や草や紙で造り上げられた家に住んで、細やかな感情を大事にしてきた民なのです。美しいく穏やかな大自然の「機微」に触れて、独特な人情や感性を育てられてきたことになります。もちろん厳しさも知っていますし、たびたび大災害にも見舞われてきました。自然への畏怖や敬意も忘れていません。小川の岸に、名の知れない花を眺めては、春を感じさせられて生きてきたことになります。

 このような風情や情緒を、孫やひ孫の世代に残してあげたいものですね。幾度も迎えた春を、今、異国の地で迎えて、母なる祖国の山や川を思い出しております。棚の引き出しに、鹿児島県産と伊右衛門のお茶の二種類がありますが、今宵は、しみじみと、「緑茶」を飲むことにしましょう。

(写真は、”季節の花300”の「茶の花」です)

コラム

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「朱印船」復元

 時々、「新聞コラム」を読むことがあります。毎朝、配達されてくる新聞の紙とインクの独特の香りを嗅ぎながらではなく、ネットで読むことができるのです。全国紙や地方紙、夕刊や外国紙などが、自社の立場にたって、独特な所見を述べています。「コラム」を、gooの辞書で調べてみますと、『新聞・雑誌で、短い評論などを掲載する欄。また、囲み記事。 』とあります。どの新聞にも、「コラムニスト」と呼ばれる記者がいて、毎朝欠かすことなく書き上げておいでです。

 高校の三年間、担任をしてくださったN先生が、新聞のコラムから答礼で話をしてくれたのを覚えています。慶應ボーイで英語を教えてくれました。あの頃、一番人気は、朝日新聞の朝刊の一面の広告とニュース記事の間に掲載されていた「天声人語」でした。いつ頃からでしょうか、まとめられて本として刊行されていました。わが家は、父の「巨人贔屓」によって、「読売新聞」を読んでいましたから、「編集手帳」というのがコラム名でした。友人の息子さんが、「毎日新聞」の記者になられて、そんな関係で、その新聞を購読するようになりましたが、コラム名は「余録」でした。各社のコラムを読み比べることができますし、大きな出来事があった翌日は、全国紙が一様に、同じテーマで書き上げているのが分かるほどです。それでも各社の強調点の違いが、興味深いと思ったこともありました。先月の29日の「東京新聞」の「筆洗」に、次のようなコラムがありました。

<遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし>。昭和十五年、日中戦争の報道写真を見て、新聞記者で歌人の土岐善麿がつくった歌である▼命を二つ持つ者はいない、と生命の尊さを詠んだだけなのに右翼から攻撃され、戦時下は隠遁(いんとん)生活を送る。敵国の兵士に同情したと思われ ると、袋だたきに遭う時代だった▼その時代に戻ることはないと信じているが、「嫌中・嫌韓」が声高に語られる風潮には危うさを感じる。それを政治家があ おっているのだから尋常ではない▼閣僚の靖国参拝に対する中韓両国の抗議を安倍晋三首相は「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と突っぱね、「侵略の定 義は国際的にも定まっていない」と過去の侵略戦争や植民地支配を正当化するような発言を重ねた。経済優先の「安全運転」に徹してきた首相の「地金」がむき出しになってきた▼その歴史認識に米国側から反発も出てきた。米紙ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズは「歴史を直視していない。これまでの経済 政策の成果も台無しにしかねない」「敵対心を無謀にあおっているように見える」と社説で批判した▼<あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ>。戦時中は好戦的な歌もつくった善麿の昭和二十一年の歌だ。戦争は遠くなり、勇ましい声が再び戻ってきた。

とです。記事の中に引用された「短歌」を詠んだ土岐善麿は、読売と朝日に勤務した新聞記者で、短歌を詠んだ歌人でもありました。このコラムの記者は、最近の「嫌中・嫌韓」の傾向に、警鐘を鳴らしています。かつて日本の社会は、『ノー!』と言えなくなかった時代があリ、《言論統制》が行われていたことがありました。二月の帰国時に、息子と話をしていて、『ネットに流す意見も、取締まられる傾向があるんだ!』と言っていました。何でも自由に表現できない時代になってきているのかも知れません。もちろん表現する人にも責任があるべきですが。闘って勝ち取った「自由」ではないので、ちょっと危ういのかも知れませんね。「筆洗」の記者は、隣国と、より好い関係を築くことを願っているのでしょう。

(写真は、復元された「朱印船」です)