父と伊達の殿様

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伊達政宗の騎馬像01

 男は人の前に出るときに、どのように振る舞うのかを、一般的には、父親から息子たちは学ぶのでしょうか。どんな態度や姿勢や振る舞いをし、どんな風に会話を交わし、さらには、どんな服装をするのかということをです。今では、そのようなことの案内書、「マナー教本」がありまして、学生であっても、これから社会人になろうとしていても、やはり身につけなければならないのだと感じるからでしょうか。ある人は、映画やテレビを見ながら、大人の男性をモデルに、いいろいろと学んでいるようです。

 「伊達(だて)」という言葉があります。有力な戦国大名で、徳川開幕後は、仙台藩の初代藩主になった人で、この人の男ぶりや振る舞いから、そう言われるようになった言葉です。ですから、「豪華」、「華美」、「魅力的」、「見栄」、「粋(いき)」などの意味を表しています。ちなみに、「伊達男」、「男伊達」、型や見栄えだけの「伊達眼鏡」とかといった言い方までするようです。

 われわれ4人の男の子を育ててくれた父親は、相模の国(神奈川県)に生まれ育ったのですが、なかなかの「伊達男」だったのです。クリーニングに出したワイシャツに、キリリとネクタイを締め、誂(あつら)えの背広を着、ピカピカに磨き上げた黒革靴を履き、背筋をスッと伸ばし、胸を張って、さっそうと歩いて駅に向かい、東京の日本橋や浅草橋にあった会社に出勤していました。背は低かったのですが、恰幅(かっぷく)が良かったのです。それ以外の服装で外出をしたのを見たことがありませんでした。きっと、ああいった「身嗜み(みだしなみ)」をする男性を、「伊達男」と呼ぶのではないかと思うのです。

 そんな父を見て大きくなった私は、学校を出て社会人になった時に、誂えの背広、真っ白のワイシャツ(もちろん糊の効いたクリーニングに出したもの)、それなりのネクタイ、黒革靴で身を整えたものでした。ラフなGパンしかはかなったのですが、そう身嗜みを一変させたのです。そういった恰好をしますと、やはり気の引き締まる思いがしてきて、「自覚」とか「責任」を内に感じてきたのを思い出します。学校を出たての私が、職場を代表して地方に出張した時に、「身嗜み」の大切さを教えてくれた父への感謝を強く感じたものです。

 そんな父でしたが、人生の最後の職場には、ジャンバーを着て、外出することが多くなったのです。子育ての責任を終えて、収入も減ったのでしょうか、倹(つま)しくしている父の若いころとは違った生き方を見て、ちょっと寂しいものを感じていました。父が召されて四十年が経ちました。最近、服装がルーズになってきているのを感じています。父の子であることを思い起こし、「伊達の殿様」のことを考えながら、再確認している初夏であります。

(写真は、「伊達政宗の騎馬像」です)