『みなさん、まあ僕の話を聞いて下さい。ちょうど、僕が高校二年であの娘もミヨちゃんも高校二年の時でした。』
僕のかわいいミヨちゃんは 色が白くて小ちゃくて
前髪たらしたかわいい娘(こ) あの娘(こ)は高校二年生
ちっとも美人じゃないけれど なぜか僕をひきつける
つぶらな瞳に出あう時 何んにもいえない僕なのさ
それでもいつかは逢える日を 胸にえがいて歩いていたら
どこかの誰かとよりそって あの娘(こ)が笑顔で話してる
父さん母さんうらむじゃないが も少し勇気があったなら
も少し器量よく生まれたら こんなことにはなるまいに
『そんなわけで、僕の初恋はみごとに失敗に終わりました。こんな僕だから恋人なんて、いつのことやら、でも、せめて夢だけは、いつまでももちつづけたいんです。』
今に見ていろ僕だって 素敵なかわいい恋人を
きっとみつけてみせるから ミヨちゃんそれまでさようなら
さようなら
これは、1960年、平尾昌晃が作詞作曲し歌った、「ミヨちゃん」という歌です。高校1年生の時に流行った歌で、思春期まっただ中の私たちの世代の《代表曲》といってもいいのではないでしょうか。純情な恋心を歌った、平凡で誰でも経験し、願っていそうなことを代弁してくれた歌だったのです。みんなが、この「ミヨちゃん」に出会えるような、淡い期待で、電車に乗り込んでは、キョロキョロしていたのではないでしょうか。中学と高校共に、男子校で過ごした私などは、金網で仕切られた向こう側にある女子部に熱い視線を向けていたのです。何時かマラソン大会があって、女子部の学生が校内の沿道に出てきて、応援してくれるといった粋な計らいがありました。『マサヒトさーーん!』と声がかかったのですが、ダレが言ったのか、60年経ってもわからない謎の声援もありました。
『ちっとも美人じゃないけれど・・・』がよかったのです。その頃から女の魅力は、顔じゃあなくて、「心」なんだと思うほど、小生意気だったのです。この平尾昌晃は、今でこそ、作曲家として有名なのだそうですが、私の時代には、「日劇ウエスタンカーニバル」を大いに沸かせた、ロカビリー歌手だったのです。ついに有楽町まで出かけて行って見ることはなかったのですが、テレビ全盛期の時代、それはそれは、今の「嵐」などとは比べられないほどの人気があったのではないでしょうか。胸を病んで、諏訪河畔の療養所で過ごしているという噂を、後になって聞いたのですが、起死回生、とても情緒のある歌を作曲しています。
『今に見ていろ僕だって・・・』は、将来に夢をつないでいて、今は何も起こらなくても、いつか《佳人(かじん)》と出会えるのだという望みに溢れさせてくれたのです。今でも、ときどき口ずさみますが、甘酸っぱくて青臭い香りが漂ってきそうです。今の時代の子どもたちも、あまりにも現実的過ぎる男女の話ではなく、淡い恋心を楽しんでもらいたいものです。《ときめき》って、この年になってもあるのには驚かされています!
(写真は、1960年代の渋谷駅・京王井の頭線の電車です)