憧れの街

  君がみ胸に 抱かれて聞くは  (被你拥在怀中 聆听着)
  夢の船唄 鳥の唄       (梦中的船歌 鸟儿的歌唱)
  水の蘇州の 花散る春を   (水乡苏州 花落春去)
  惜しむか 柳がすすり泣く   (令人惋惜 杨柳在哭泣)

  花をうかべて 流れる水の   (漂浮着花瓣的 流水)
  明日のゆくえは 知らねども  (明日流向何方 可知否)
  こよい映した ふたりの姿    (今宵映照 二人的身影)
  消えてくれるな いつまでも   (请永远 不要抹去)

  髪に飾ろか 接吻しよか   (装饰在发稍上吧 轻吻一下吧)
  君が手折し 桃の花      (你手折的 桃花)
  涙ぐむよな おぼろの月に    (泪眼迷蒙 月色朦胧)
  鐘が鳴ります 寒山寺      (钟声回响 寒山寺)

 この歌は「蘇州夜曲」といい、作詞、西条八十、作曲、服部良一、歌山口淑子(李香蘭) 、1940年には映画化されているそうです。かつての日本には、有為な若者を中国大陸に送り、彼らの学びを通して、日本を創り上げていこうという動きがありました。「進取の精神」に富んでいた頃の日本の姿です。そういった使命を託された若者たちが、言葉を覚え、文化に触れながら、優れた中華の法や制度や思想を吸収したのです。こちらの古い建造物を眺めていると、京都や奈良に見られるのと同じ景観を目にします。建物だけでなく、こちらのみなさんの仕草や表情をみますと、新宿や代官山や立川で見られるのとまったく同じです。はにかんだり、遠慮したり、躊躇するのは、日本人ばかりのことではなく、こちらのみなさんのものでもあるのです。

 父が、『俺の爺さんは、政府からイギリスに遣わされ人だった・・・』と話していたことがあります。その祖父が持ち帰った「毛布」を、肺炎で死線を何度もさまよっていた私の体を温めるために、父が自分の実家から持ってきて使わさせてくれました。純毛の高価なものだったのですが、その肌触りを覚えているのです。長安の都やロンドンに、人を遣わせるには、莫大なお金がかかったのでしょうね。金銭にはかえられない有形無形のものを若者たちが日本に持ち帰って、それらを国作りに用いたのであれば、その投資は成功したことになります。最近の日本の若者の傾向は、異文化世界に出て行って、留学する意欲が少なくなってきているそうです。それに比べ、中国や韓国の青年たちは、競うようにして出かけていくのだそうで、少々寂しいものがあります。

 そういった心意気というのは、どの時代の若者にもあるのでしょうか。この歌で歌われる「水の都」と言われる蘇州は、中国有数の景勝地で、かつての日本の若者にとっては「憧れの街」であったようです。異国情緒を楽しみ、恋もしたのでしょうか。庶民のレベルでの交流が、日本と中国との間には豊かにあったことになります。来週、若かった頃の父が訪ね、生活した東北地方の街に出かけてみようと思っています。昔日の趣は、もう見当たらないかも知れませんが。酷暑の大陸ですが、教え子が道案内してくれるとのことで、とても楽しみにしております。

(写真は、蘇州の「古典庭園」です)