.

 「国民栄誉賞」があります。厳格な授与規定があるのではなく、『時の首相の人気取りで、決められるのだそうだ!』という話も、あながち間違っていないのではないでしょうか。今回も、女子サッカーチームが、ワールドカップで優勝したことを愛でて、その賞を授与するのだそうです。その受賞事由は次の通りです。

 『FIFA女子ワールドカップにおいて初優勝し、最後まで諦めないひたむきな姿勢によって国民に爽やかな感動と、東日本大震災など大変困難な中で日本国民がいる中で、困難に立ち向かう勇気を与えた。』

 1983年に、プロ野球・阪急ブレーブス(現オリックス・バッファローズ)の福本豊選手が、世界記録となる盗塁・939を達成したときに、中曽根康弘首相が、この賞の授与を打診しました。『そんなモノもろたら立ちションもでけへんようになる!』と言って断ったことがあります。また、2001年に、シアトル・マリナーズのイチロー選手にも、授与の打診がありました。『国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい !』と、彼もまた辞退をし、2004年、最多安打記録を樹立した時も、同じく断りました。

 貰ってしまった賞の大きさや重さに、受賞者が圧倒されてしまい、これからの歩みがなんとなく心配になるのですが、みなさんは如何お思いでしょうか。最近読んでいます本に、福沢諭吉についての記事がありました。明治維新政府ができた頃に、諭吉の功労に対して、何かの褒賞を贈りたいとの話が起こり、それが諭吉に伝えられたのです。それに対して、彼は、

 『車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐をこしらえ、書生は書を読む。人間当然の仕事をしているのだ。政府が褒めるというのなら、まず隣の豆腐屋から褒めてもらわなければならぬ!』
 
と言って、お断りをしたのだそうです。この辞退の理屈は、何と諭吉らしいのではないでしょうか。東北大震災、原発事故で、国全体が昏迷と不安の只中に投げ込まれている現状で、彼女たちが国民に勇気を与えたことは確かですし、喜ぶことができたことは確かです。この優勝を喜んだ私はブログまで書いてしまいました。嬉しかったからです。それでいいのではないでしょうか。もし国民栄誉賞を授与するのなら、中国人研修生20名を、家族の救出よりも優先し、示された「自己犠牲愛」に爆発的な感謝と感動を中国の国民から受けられた、佐藤充さん(佐藤水産専務)も、その候補としてあげられるべきではないでしょうか。また、福島原発の危険を冒して作業をしてきておられる自衛官、消防士、社員、ボランティアの方々、さらには、被災地で死臭の立ち込める中で作業され続けたみなさんを考慮しないとしたら、何か手落ちがあるのではないかと思うのです。

 こう言った選考をする、現政権、現首相の思惑を考えますと、深沢諭吉だったら、何と言うでしょうか。時を読み、空気を読み、人の心を読むに、実に浅薄なのです。「人気」と「支持」を取り付けるだけが、事の決定要件である限り、正しい選考ではなかったと思えて仕方がありません。「なでしこ」さんたち、ごめんね!

(写真は、「池田豆腐店(下北沢から渋谷へ抜ける途中)」です)

勝海舟

                                      .

 最後の幕臣、江戸市民150万の命と財産とを火の海から守って、無血開城した功労者の勝海舟は、諸大名と同位の直参旗本でした。勤王派の志士たちが、テレビや映画の主人公として、現代では脚光を浴びていますので、彼らの陰で脇役を演じているのが、勝海舟だといえるでしょうか。西郷隆盛や坂本龍馬が、外様大名の藩政のもとで下級武士でしたから、比べるなら身分的には雲泥の差があったことになります。それでも英米の外国勢力が日本を干渉し始める頃には、尊皇攘夷が叫ばれ、立場が逆転して、薩摩や長州や土佐の各藩の下級武士の間から、倒幕運動が起こり、大きく日本が変わっていきました。

 この勝海舟が、座右の銘としたことばがあります。中国の明代末の賢人、崔後渠(崔銑の異名)が残したことばですが、劉瑾(りゅうきん)という役人の間違いを諌(いさ)めたのが原因で、投獄されています。その時に、この名言を言い表したのです。

   自處超然(ちょうぜん)・・・自ら処すること超然とする
     世俗的な物事に拘らないで、外側から眺めるような余裕な態度と言えるでしょうか。
   處人藹然(あいぜん)・・・人に処すること藹然(あいぜん)とする
     雲や霞がたなびいているように、穏やかで和やかに眺められるような態度のことでしょうか。
   有事斬然(ざんぜん)・・・ことが起こったときに斬然とする
     一朝、事があるときはグズグズしないで活き活きとし、目的をはっきりさせることでしょうか。
   無事澄然(ちょうぜん)・・・何もことが怒らないときには澄然としている
     事が起こらないときは水のように澄んだ気持ちでいることでしょうか。
   得意澹然(たんぜん)・・・得意なときにはあっさりし、まだ足りなく思う謙虚な気持ち
     調子のよいときは、傲慢になってしまいがちなので、気をつけなくてはいけません。
   失意泰然(たいぜん) ・・・失意のときは泰然自若としている
     望みがかなわなく面白みのないように感じる時でも、物事に動じないで落ち着いてことでしょうか。

 これは、素晴らしい処世訓ではないでしょうか。こんな生き方ができたら、人生は楽しく、意味あるものとされていくのではないでしょうか。テレビの劇中でしか会ったことがありませんが、麟太郎も、その父・勝小勝も、武士でありながらも江戸っ子気質で、飄々とした型破りの人だったようです。それでいて賢いリーダーシップをもっていたのです。徳川幕府の終焉劇のために、必要な人材でした。彼は『なすなかれ天意に違(たが)うことを!』と言い残していますが、確りと〈天意〉を認めることができ、恐れることのできた人あったことになります。大田区の洗足池の廻りを散歩していたときに、『これが勝麟太郎、勝海舟の墓ですよ!』と、友人が教えてくれました。江戸っ子にとって、勝海舟は、江戸火消しの新門辰五郎に並び称される自慢の人物だったようです。

(写真は、「勝海舟(麟太郎)」です)