.
先日、美味しい「粥」を食べました。ピータン(皮蛋)と豚肉(痩肉)と椎茸(香菇)と香菜などの入った、まるで横浜・中華街の高級飯店で食べるような、実に味の深い、体に馴染むようなお粥でした。中華料理の味の深さというのでしょうか、調理をする人の腕によるのでしょうか。このお粥を作ってくださったのは、23歳になったばかりの学生さんです。教え子のボーイフレンドで、引越しの準備のさなかの家内と私とが、暑さ負けしないようにと、夕食を作りに来てくれたのです。ついお替りをしてしまいました。デザートには、〈仙草xiancao〉という夏場に適した中国版ゼリーを出してくれたのですが、前もって家で作って持ってきてくれたのです。少々疲労気味でしたから、胃に負担の少ない夕食になりました。
先日、旅行に誘ってくださり、いっしょに泉州の実家に泊めていただいた方で、外国人で友人の教師ということで、おもてなし頂きました。彼には世話になってばかりでおります。日本で食べてきた「粥」は、梅干をのせた病人食(それしか知りません)で、塩味だけのさっぱりしたものですが、こちらの粥は、栄養価が高く、しかも胃に負担は少なく、『食べ過ぎないほうがいいようです!』との注意もしてくれました。こちらの街で食べる中華料理は、その味付けは「味精(味の素)」が多く使われて、様々な具材を油で炒め、揚げ、煮て食卓に供される場合が多いようです。もちろん、先日の泉州旅行で、彼の家でごちそうになったお母様の料理は違っていました。家庭料理は、それぞれの特徴があるのですが、一品一品を真心込めて作ってくださいました。好きな〈シジミ〉が出てきたので、つい、『我最喜欢这个东西!』と無遠慮に声を出してしまいました。きっと北京の紫禁城や南海で称された料理は、気品料理だったのでしょうね。
誰かから聞いてウル覚えなのですが、『ヨーロッパに家に住み、日本人の女性を妻に、中華料理を食べることが、男の理想なのです!』だそうですが、《やはり食は中華》に違いありません。長年食べてきました日本料理は、素材の味を引き出すのに注意しているのでしょうか。関東と関西とでは味つけが違います。関西圏と言っていいでしょうか島根県出雲の出身の母と、関東は神奈川県横須賀で生まれ東京で育った父とは違っていました。醤油も味噌も違うからです。母は、父の好みに味を変えていましたから、我が家は関東圏の味だったのです。日本の会席料理をみますと、一品ごとに調理をし(もちろん炊きこみご飯、ちらし寿司、鍋などは例外ですが)、皿に盛り分け、各自に一人前ずつ運ばれてきて、食卓に並べられます。高級料理店に参りますと、皿だって半端ではなく、〈何々焼き〉といった銘柄なのです。そそっかしい私は、壊さないように注意を払わなければならなので大変ですが。
もう一つ、中日の違いは、食卓を囲んだ時の様子です。食卓は、ほとんどが円形ですから、何人増えてもちょっと椅子を寄せれば大丈夫です。1つの皿や器に盛られた料理を、箸がぶつかり合うこともあり、突っ付き合いながら食べるのです。どれだけ食べたらいいのかを暗黙のうちに考えながら食べ、相手に、『どうぞ!』と勧めていきます。食べながら何回も乾杯を交わします。時々、テーブルをコップでコツコツたたきながら杯を交わすのです。それと賑やかなことです。大声で話が混線しています。食器の音だってやかましいこともあります。話し声が、『エッ?』と聞き返さなければならないこともあります。まあ日本語で言うと〈無礼講〉といったらいいかも知れませんが、仲間意識が強くなる食卓の雰囲気がとてもいいですね。こちらでは、『吃韩饭了没有?chifanlemeiyou』というのが、あった時の挨拶言葉ですから、『飯食ったかい?』と聞き合うことによって、相手の生活に心配りをしているのでしょうか。『食っていなかったら、一緒に食って行けよ!』と招いているのでしょう。村意識、親族や仲間の意識がとても強烈なものを感じております。そういったものが無くなってしまった日本を考えて、とても懐かしくも羨ましい風俗習慣伝統であります。
四人の子共や、来客者や同居の方々と、家族のように「すき焼鍋」や「水炊き鍋」を囲んで食べていた時代が懐かしく思い出されてきます。「ピータン粥」を食べましたら、昔、よく食べたおじや(雑炊)や水団が懐かしくなって、「赤とんぼ」を歌いたくなってしまいました。
夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か
山の畑の、桑(くわ)の実を
小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか
十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた
夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿(さお)の先 (三木露風作詞・山田耕筰作曲)
(写真は、「赤とんぼ」です)