桶職


 時々ですが、私のもとに送られてくるブログの中に、国際社会で活躍した日本人を特集したものがあります。大地震のせいではないのですが、自信をなくした現代の日本人に、『こんな活躍をして、現地の人々に驚くほど慕われ感謝されたキラキラ光り輝く日本人が、かつて大勢いました!』と、そう紹介しているのです。とくにアジア圏の後進国に、日本の技術や方策を紹介し、実際に現地で共に働き、近代化に驚くほどの貢献をした方々をです。

 戦後の商社マンは”エコノミックアニマル”と蔑称されたのですが、アジア圏で活躍した彼らは無私無欲の心で、国々や人々が窮状から脱出して、自活し、余剰を輸出していくような商業経済の方策を教えたのです。環境や衛生面での近代化、農水林業の振興、商業経済面での発展、教育文化の整備などの面で、励んだ方々でした。そういった方々と同じ心を持って、今も世界を舞台に活躍している日本人がいるのです。

 内村鑑三が次のような詩を詠んでいます。

            「桶職(をけしよく)」

       我は唯(ただ)桶を作る事を知る、
       其他(そのほか)の事を知らない、
       政治を知らない宗教を知らない、
       唯善き桶を作る事を知る。

       我は我(わが)桶を売らんとて外に行かない、
       人は我桶を買わんとて我許(もと)に来る、
       我は人の我に就いて知らんことを求めない
       我は唯家にありて強き善き桶を作る。

       月は満ちて又欠ける、
       歳は去りて又来たる、
       世は変り行くも我は変らない、
       我は家に在りて善き桶を作る。

       我は政治の故を以て人と争はない、
       我宗教を人に強ひんと為ない、
       我は唯善き桶を作りて、
       独り立(たち)て甚だ安泰(やすらか)である。

 「トランジスターラジオ」や「デジカメ」などに比べて、「桶」は劣るのでしょうか。木製の「桶」なんか、つまらないものなのでしょうか。一見、つまらなく見える「桶」を作る人が、どんな心で作るかに、内村は焦点を当てているのでしょう。教育など受けたこともないし、政治信条などもないかも知れません。しかし、使う人の心にかなう「桶」を造り、よりよいものを提供しようとしているのでしょう。父や祖父を見ながら、その技法を学び、それを自分なりの工夫を加えて、よりよい「桶」を作ってきているのです。それで満足しているのです。これこそが日本の職人の伝統的な職業観であり、愚直な職業意識なのではないでしょうか。
  
 「天職」、人はそれぞれに与えられた職責があります。「政治家」や「軍人」や「学者」に比べて、「桶職」は価値の低い職業なのでしょうか。これもまた「天職」、それを得たら感謝し、喜び、安泰に生きることだと、桶職人は言うのです。

 今夕も、甚だ危険で劣悪な仕事環境の中で、働いておられる「職人たち」が、福島原発の事故現場におられます。『誰かがやらなくては!』と志願して働いている方もおいでです。長年働いた仕事の日々を顧みながら、異国の雨雲の下から、心からご無事を願い、応援を送らせていただきます。

(写真は、南木曽の志水木材製の「桶」です)