「みずありがとう」余震の中給水活動(産経新聞 5月8日(日)14時51分配信 )
陸自北富士駐屯地(山梨県)第1特科隊、郷田直人3等陸曹は1通の手紙を記者にみせた。
「きゅうすいのおにーさんへ がんばってください みんなでちからをあわせてがんばってください みずありがとう」(原文)
出動命令を受け、郷田3等陸曹が向かったのは茨城県北部。田中智顕(ともあき)3等陸佐を現地指揮官に特科隊員51人が3月14日から29日まで、駒門駐屯地(静岡県)の隊員と計85人で給水、給食活動を展開した。
活動範囲はひたちなか市のほか北茨城市、高萩市、日立市など。避難所には被害が大きい沿岸部の住民が避難していた。余震は続き、震度4から5弱が1日十数回。
郷田3等陸曹は日立市の高台にある久慈中学校で給水活動にあたった。住宅被害を免れた住民らも水道が破損して隊の給水車に列を作った。
1度に200人も並ぶ。1人が容器を持っていなかった。夢中で沿岸から逃げてきた人に容器はない。郷田3等陸曹はとっさに「バケツがあれば未使用の指定ゴミ袋を広げて入れて」とアドバイスした。間もなく1人がバケツに指定ゴミ袋を入れて郷田3等陸曹に差し出した。
隊員の勤務は午前7時から午後8時まで。避難所では給水を待つ列が続く。昼食をゆっくりと食べてはいられない。トラックの荷台で隊から支給された冷たいレトルト食品を胃袋に流し込む。
郷田3等陸曹は被災者にできる限り声をかけた。「家は大丈夫でしたか」「けがは」。すると年配女性が「こんなものしかなくてごめんなさい」といってあめ玉をくれた。大切なあめ玉にちがいない。「こんなもの?
これ以上のものはない!」。感謝した。
幼子(おさなご)からの手紙はそんな折に届いた。かわいらしい絵封筒に入っていた。便箋(びんせん)の裏に母親も書き添えていた。「寒い中の給水作業、本当にありがたい。隊員の一生懸命な姿に勇気づけられます。娘が手紙を書きたいというので私もお礼をと思い、書かせていただきました」。
被災して不自由な生活でも生き抜いてほしいとの思いが自衛官の業務を支えるが、被災生活を続ける住民の温かな心に触れ、郷田3等陸曹は「勇気と力をもらった」。
一方、田中3等陸佐は炊事班を統制していた。避難所の食事は救援物資の範囲で作る。コメだけならおにぎり。パンのみということも。すると田中3等陸佐は隊員に湯を沸かすよう命じた。
「せめてスープだけでも」。あり合わせの材料でパンとともにスープを提供した。ある自治体には救援物資として姉妹都市から野菜や肉が届いた。コメはある。「カレーを作って」のリクエストに応えた。
野菜の中にゴボウがあった。支給食材を使わなくてはならない。“ゴボウ入りカレー”となったが、冷たい体育館での避難者に湯気が上がるカレーライスは好評だった。
任務を終えた田中3等陸佐は話す。「余震が続き、大変な時期がまだ続く。第2のふるさとではないけれど自分たちが活動したことで(茨城県北部には)特別な思いがある」。「茨城愛」こそが自衛隊員自らを支えている。(牧井正昭)
(写真は、陸上自衛隊北富士駐屯地第一特科隊の給水活動の様子)