頓珍漢

 
内村鑑三の詩に、次のようなものがあります。

     「楽しき生涯(韻なき紀律なき一片の真情)」

   我の諂(へつら)ふべき人なし・・・・・断固として人の御機嫌取りなどしない生き方を
   我の組すべき党派なし・・・・・徒党を組まない独立心で立つ気概を
   我の戴くべき僧侶なし・・・・・弔いの言葉も涙も儀式も不要
   我の維持すべき爵位なし・・・・・人となるのは一代の責と思う無冠の我

   我に事ふべきの神あり・・・・・造られた物にではなく造物主に
   我に愛すべきの国あり・・・・・生まれた国、国土、同胞を愛する心で
   我に救ふべきの人あり・・・・・誰かの助け手となれる自分がいて
   我に養ふべきの父母と妻子あり・・・・・託された家族への責務に邁進して

   四囲の山何ぞ青き・・・・・この国土も人生も至る所で芽吹く命の
   加茂の水何ぞ清き・・・・・高い川浪の昔もある流れは時を超え清流に
   空の星何ぞ高き・・・・・至高者のおられるところに瞬く光に
   朝の風何ぞ爽(さは)き・・・・・素晴らしい一日一日のはればれとした始まりに

   一函の書に千古の智恵あり・・・・・先人の知恵を宝のようにして尊ぶ
   以て英雄と共に語るを得べし・・・・・彼らの言葉と思想と魂に触れて
   一茎の筆に奇異の力あり・・・・・語られ書かれた言葉に漲るほどの力があって
   以て志を千載に述るを得べし・・・・・後の世に伝え残したい高い志があって

   我に友を容るゝの室あり・・・・・友情、友との語り合いに満ち足りて
   我に情を綴るゝのペンあり・・・・・信条を忌憚なく書く自由があって
   炉辺団坐して時事を慨し・・・・・友や家族や隣人と世事を語り合う時の流れに
   異域書を飛して孤独を慰む・・・・・横文字の頁を独りめくりながら輝かす目で

   翁は机に凭(もた)れ・・・・・祖父は眼を閉じて昔日を思う
   媼(うば)は針にあり・・・・・祖母は繕い物に精出し
   婦は厨(くりや)に急(せ)はしく・・・・・妻は家族の喜ぶ夕餉の支度に励み
   児は万歳を舞ふ・・・・・子は両手を挙げて踊るような仕草をして

   感謝して日光を迎へ・・・・・天恵への感謝を忘れない
   謝して麁膳(そぜん)に対し・・・・・ご馳走でなくても美味しく食べ
   感謝して天職を執り・・・・・すべきことに今日も明日も励む
   感謝して眠に就く・・・・・一日の全てに感謝して寝床に臥して

   生を得る何ぞ楽しき・・・・・生かされていることの素晴らしさ
   讃歌絶ゆる間なし・・・・・唇からあふれるほどのほめ歌が溢れ出る

 『生きるって楽しい!』との真情の吐露、人生の充実感が感じられる詩ですね。こんな真実な心情を胸に宿して生き、締め括りたいものだと思ってしまいました。詩に、自分の思いを付記してしまいましたが、これって邪道ですね。1896年(明治29年)年1月4日 の初版本掲載の「詩」に、105年の後を生きる私が、華南の雨雲の上に輝く星星に想いを馳せながら、こんな「・・・・・」の《頓珍漢》な思いを綴ってしまいました、お赦しを!

(写真は、佐賀県東松浦郡玄海町浜野浦の「棚田」の美しい田園風景です)