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添田唖蝉坊が、明治・大正期に、おもに浅草で活躍し、世の中を斜めに眺めて、壮士節を継承し、表現したのが、「のんき節」でした。時の政府や財閥、権力者や社会を笑い飛ばした「風刺」の演歌だったのです。路傍での演説の代わりに、壮士たちがバイオリンを弾きながら、こんな歌を歌ったのです。だれもが、呑気に生きたいのですが、この世の現実は、世知(せち)辛く、問題ばかりで、将来を見通せなく、問題や課題が山積した、邪悪なままにとどまっているからです。
學校の先生は えらいもんぢやさうな
えらいから なんでも教へるさうな
教へりや 生徒は無邪氣なもので
それもさうかと 思ふげな
ア ノンキだね
成金といふ火事ドロの 幻燈など見せて
貧民學校の 先生が
正直に働きや みなこの通り
成功するんだと 教へてる
ア ノンキだね
貧乏でこそあれ 日本人はえらい
それに第一 辛抱強い
天井知らずに 物価はあがつても
湯なり粥なり すゝつて生きてゐる
ア ノンキだね
洋服着よが靴をはこうが 學問があろが
金がなきや やっぱり貧乏だ
貧乏だ貧乏だ その貧乏が
貧乏でもないよな 顏をする
ア ノンキだね
貴婦人あつかましくも お花を召せと
路傍でお花の おし賈りなさる
おメデタ連はニコニコ者で お求めなさる
金持や 自動車で知らん顔
ア ノンキだね
お花賈る貴婦人は おナサケ深うて
貧乏人を救ふのが お好きなら
河原乞食も お好きぢやさうな
ほんに結構な お道樂
ア ノンキだね
萬物の靈長が マッチ箱見たよな
ケチな巣に住んでゐる 威張つてる
暴風雨(あらし)にブッとばされても
海嘯(つなみ)をくらつても
「天災ぢや仕方がないさ」で すましてる
ア ノンキだね
南京米をくらつて 南京虫にくはれ
豚小屋みたいな 家に住み
選挙權さへ 持たないくせに
日本の國民だと 威張つてる
ア ノンキだね
機械でドヤして 血肉をしぼり
五厘の「こうやく」 はる温情主義
そのまた「こうやく」を 漢字で書いて
「澁澤論語」と 讀ますげな
ア ノンキだね
うんとしぼり取つて 泣かせておいて
目藥ほど出すのを 慈善と申すげな
なるほど慈善家は 慈善をするが
あとは見ぬふり 知らぬふり
ア ノンキだね
我々は貧乏でも とにかく結構だよ
日本にお金の 殖えたのは
さうだ!まつたくだ!と 文なし共の
話がロハ臺で モテてゐる
ア ノンキだね
二本ある腕は 一本しかないが
キンシクンショが 胸にある
名譽だ名譽だ 日本一だ
桃から生れた 桃太郎だ
ア ノンキだね
ギインへんなもの 二千圓もらふて
晝は日比谷で たゞガヤガヤと
わけのわからぬ 寢言をならべ
夜はコソコソ 烏森
ア ノンキだね
膨脹する膨脹する 國力が膨脹する
資本家の横暴が 膨脹する
おれの嬶(かゝ)ァのお腹が 膨脹する
いよいよ貧乏が 膨脹する
ア ノンキだね
生存競争の 八街(やちまた)走る
電車の隅ッコに 生酔い一人
ゆらりゆらりと 酒のむ夢が
さめりや終點で 逆戻り
ア ノンキだね
この歌詞以外に、〈鮹に骨なしナマコに眼なし 政府に策なし議員に抱負なし 民に職なし 愛もなし 皮肉にや抱負と骨がある へゝのんきだね〉などと歌っていました。
この令和の御代には、どんな「のんき節」が歌われるのでしょうか、庶民の目をくらます、颯のようなツブテが上の方から飛んできます。身をかわしても避けられないで、まともに受け止めてしまうのです。
この演歌師の気分になって、笑いを誘う、風刺やhumor (ユーモア)や、機知にあふれた歌詞で歌ってみたい気分に、私もされています。まさに物価高で経済不安、戦争や戦争の噂が飛び交い、テロリストの暴挙、軽い気分なのででょうか殺人、詐欺、強盗のニュースが矢継ぎ早です。呑気ではいられない世情の中で、神経質な世の中を、『へゝのんきだね!』と笑いでとらえてみたいものです。
(演歌師のイラストです)
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