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「劣等感」と言うと、〈劣っていて役立たず〉にみられてしまうので、” complex “ と言い換えて、劣等感に被せものをして誤魔化そうとする、心の動きが見えて仕方がありません。
市の支援センターからの「ふれあい通信」が、今朝、配られてきました。そこに、「フルエル(震える)予防をしましょう!』とあります。ごめんなさい、歳をとると、体が震えるので予防をしよう、と言う注意勧告かと思いましたら、“ Frailty /フレイルティ“を、変えて言っているのが、辞書を引いて分かったのです。「フレイル加齢により心身が老い衰えた状態」の「虚弱」と言う意味だそうです。「虚弱」は、強いことばなのでしょうか。『それを使わない方がいい!』で、英語のカタカナになったのでしょうか。
このところ、ラジオのニュースとか解説とか特別時事問題などを毎夕聞くのですが、実に、〈カタカナ〉の使用が目立つのです。で、最近は英和辞典をそばに置いて、『今なんて言ったの?』、「何ていう意味?』の答えを見つけるばかりなのです。
これって、日本人の言語complex なのではないかと思うことしきりなのです。明治時代の書生さんが、
♭ デカンショ デカンショで半年暮らす ヨイヨイ
あとの半年ゃ寝て暮らす ヨーイ ヨーイ デッカンショ ♯
薩摩芋の種類に〈デカン薯〉があって、それを言っているのかと思ったのですが、それは、「デカルト」、「カント」、「ショウペンハウエル」のことを言ってるが分かったのです。西洋思想や学問の学びの象徴と言って優れた西洋の哲学者の名を、放歌高吟した、書生さんたちの心意気で歌ったのです。
それくらいはいいと思いますが、爺さん婆さんが聞くニュースの中に、英語のスペルをはっきり言ってくれるなら分かるかも知れないのですが、日本語化した英語を聞かされて、ただ混乱するだけで、『こんなこと知らないと時代遅れになるのではないか?』と恐れるあまり、「震える」ことなんだ、歳とると、よくおじいちゃんが震えていたからなあ!』と思い突いたわけです。
この傾向、すなわち〈カタカナ語化〉は、どこまで行くのでしょうか。日本語が消えてなくなり、日本での英語化を提唱した、明治の要人、文部大臣を務めた森有礼の思う壺になっていくのでしょうか。日本語の表現とは、綺麗で、素晴らしいので、もっと生かして用いていただきたいものです。
(ウイキペディアによる「カタカナ表記」です)
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