マイホームに住んで

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 「年賀状」って、そんな裏事情があるのだと言うことを、この歳になって、やっと分かったのですが、今更分かっても、もう過ぎた時間も、年賀状も帰ってはこないわけです。勤め人時代の五年間は、郵便局のお年玉付き年賀状を出した記憶があります。過ぎた一年を感謝して、迎える新年に、お手柔らかにと願ってでしょうか。上司や同僚や関係各位に出したのです。

 仕事を辞め、開拓伝道を志された宣教師さんの後に従ってから、そして、8年後に、宣教師の新任地の奉仕で出て行かれた後、そして、お隣の国に留学するまで、50数年ほど、ただ祈りで支えてくださったり、菓子折りを送ってくださったり、たまに説教奉仕でお呼びいただいたりで、関わりにあったみなさんには、Report  のような内容を、感謝と共に記して、年初めに出していました。

 ところが私たちの激励者であった宣教師さんは、奥さまにお話によると、祖国の教会や友人や兄弟たちに、手紙一封出さなかったそうです。全く行き詰まった時に、エリヤを養われた神さまは、《不思議な贈り》をもって、このご家族を養われていたのです。5人のお子さんがいて、この家を訪ねてくる信者さんがいて、昼にはスパゲッティが、いつも出てきたそうです。それ以外に出せなかったからでした。

 そのような家庭で育ったお子さんたちは、ご両親と同じ献身の道を歩んでおいでです。今では、電子メール、face timechatなどが交わされる時代ですが、礼を失することなく、親子二代にわたる交わりを、私たちと続けていてくれるのです。

 さて、次女が、『面白いから読んでみて!』と、置いていった本を読み始めたのです。当時、六十歳定年退職後のおじさんたちの登場する物語で、新宿からの私鉄沿線に、分譲住宅を買って住んで、ローンを負いながら生活をしてきて、子育てもすでに終えているのです。一期、二期、三期と順次、六十坪の分譲敷地に、マイホームの夢を叶えて、住み続け、それぞれが次のステージに移ろうとしているようです。

 一期入居の会長さん、分譲住宅を企画し売り出し、自分も買って入居した私鉄会社員、戦争孤児だった逆境を跳ね除けて生きてきた人、高校卒で市中銀行に入社し、最後におまけのような肩書をもらって退職した銀行員、二世代住宅に建て替えたけど、嫁姑問題に直面の男、運送業への単身赴任で覚えた関西弁と岡山弁を使い分け、物産展のイヴェント訪問を趣味の男。この登場者の中に、退職後、この交わりに加わりながらもすぐに亡くなってしまった人がいるのです。みなさん、高度成長期の日本の推進者なのです。

 振り子のように同じ歩を重ねて、片道二時間の通勤をし終えた六十代の男性たちが、不思議な出会いをして、共通点もあって、悲喜交々の老いを生きているお話なのです。主人公は、元銀行員の設定なのです。そんな生き方を自分はしなかったのですが、帰国後、遅い老齢期、退職期を迎えて5年も経った自分にも、容易に想像でき、苦笑いしながら読み進めてきています。重松清作の「定年ゴジラ(講談社文庫)」です。

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 そう、その小説に、「年賀状」のくだりがあるのです。元気になってきた家内が、昨年、12月に入ろうとした時、郵便局、写真屋を跳び回って、初めて「賀状」を注文発注し、見舞ってくださった方たちに挨拶状を書いて出していました。

 それに使った写真は、居間での二人の自撮り写真で、微笑んでいます。全く思惑なしなのですが、その小説には、あるご婦人の若い頃に、賀状に印刷する写真を撮る時に、その年に買った高級新車、子どもたちの私立学校の制服姿、高級服などを映り込ませて出すのだそうです。今が、どれほど幸せなのかをappeal しようとしてです。

 『でも、これぜーんぶ嘘なの!』と後になって言っています。わざわざベビーカーを電車に乗せ、普段着とスニーカを持って、新宿駅で降りて、平日出勤のご主人と待ち合わせて、新宿御苑に行き、普段着に着替えて写真を撮り、そして一連のことを終えると、Sさんは背広にと革靴に履き替え、会社に戻って行った平日写真だったのです。これこそが見栄の偽りでした。

 同級生、同僚に、今の現実に、見栄を着せて、キチンと計算して撮った写真を、年賀状に印刷して出す、それが近況報告と挨拶なのだそうです。そう面白く、さもありなんことを、そう重松清は書くのです。毎年のように印刷した賀状には、あんなに無邪気な男の子、自慢の息子だったのがグレてしまって、ある年から、ぷつんと賀状が来なくなってしまう話もあるのだそうです。こちらからの電話、手紙などが、どんな風に見られ、聞かれるかなど考えもしないノー天気な自分には、思いもつかないことです。

 あの宣教師さんは、その手紙が、ただの近況報告や感謝が、ある人に負担を負わせたりしないような、深慮があったのでしょうか。だから、本意を理解しない人には、いえ、どなたにも手紙などを出さなかったのでしょう。そんな生き方のできる方だったのです。ところが、そんな誤解をされたことのあった私の憶測の誠実な宣教師さんでした。それにしても人の心は、深くて複雑に違いありません。

(ウイキペディアによる「小田急線の電車」、「年賀状」です)

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