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私たちには、「表現の自由」、「言論の自由」、「知る権利」、「信教の自由」などが、憲法で保証されていますが、その自由が、悪用されて、ある時は、人を惑わし、恐怖させる犯罪が起こり得ます。
『すべて人は、意見及び表明の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。(世界人権宣言 第19条)』
『1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。(日本国憲法21条)』
「自由」の履き違い、勝手な解釈、自己都合による解釈、言い逃れのため、偽情報の流布などが、多くみられます。信教の自由という名で、強引な伝道をし、人を恐れさせ、入信を強要し、信仰のためと言って、あくどい迫りをし、〈何でもありき〉になって、大きな社会問題になっています。様々な名目での献金の強要、信じられないほど高額な宗教用具を、人の弱みに漬け込んだ販売、集会への強制参加、そんな大きな社会問題を生んでいます。そればかりではなく、「脅し」もあります。人の恐怖心を煽ることによって、社会不安を増幅させているのです。
例えば、「キリストの再臨」についてですが、預言者の様に、その日を特定しています。何を言うのも自由ですが、聞く人によっては、大きな精神的な問題をきたしてしまうのです。いくつかの例取上げてみましょう。
[エホバの証人のラッセル]
ラッセルは 1.地獄はない 2.永遠の刑罰はない 3.イエスは神ではないという説を立てました。1870年初め、彼が19歳のころ、ピッツバーグ市で聖書研究会を発足させ、1881年にそれを「シオンのものみの塔冊子協会」と名づけ、エホバの証人の土台を作りました。ラッセルは、キリスト教の教理の多くを否定するとともに、いくつかの予言をしました。1914年にハルマゲドンの戦争(世界最終の戦争)が始まり、1915年までに世界は終わると予言しました。詳細には、その終わりの時までに十四万四千人の「エホバの証人」が集められ、この世の政府や一般のキリスト教会は減ぼされ、「エホバの証人」が世界を統一するという予言です。彼は64歳で心臓発作を起こし死亡しました。予言は当たりませんでした。
[セブンスデーアドベンチィスト]
終末の年代予言には考えるべき点が幾つかあります。一つには、少なからぬ人々が不安にかられたり、熱狂的になってしまったりすることです。1975年の時にも、学校や職場を退職して伝道に打ち込む信者もいたとのことですが、ウィリアム・ミラー牧師(元バプテスト派)が特定した主の日の様子に関しては、以下のように記録されています。
「ミラーはキリストの再臨を1843年3月21日―1844年3月21日の間と特定し、再臨待望集会は100以上の場所で開かれ、熱狂的な雰囲気であった。運動は拡大の一途を辿り、一時参加者の数は6万人に達したと言われている。また一方でその特定は多くの人々を恐怖におとしいれ、財産を売るものもでてきた。・・・ある者は仕事を放棄し、屋根や山の上に登って天を仰いだ。しかし、その日も何の変化もなく、彼らの失望は非常に大きかった。・・・世間的現実に引き戻そうとする強制から精神不安定となり、精神障害者施設に収容された患者は、ボストン近郊だけでも170人以上もいたと報告されている」(ウィキペディア「セブンズデー・アドベンチスト教会」より)
『では、ものみの塔の初代会長、C・T・ラッセルが予言した1914年には何が起きたのでしょうか。歴史に詳しい方ならピンとくるかもしれませんが、この年には第一次世界大戦が起こりました。これを見て、本当に予言通りだと思われた方々もいたようです。しかし、信徒たちが天に上げられる(携挙)ということは起こりませんでしたので、1843年のミラー牧師の時と同様に、失望した信者たちは組織から離れていきました。
とはいえ、全員が去ったわけではありません。残った人々の中で、2代目の会長となったJ・F・ラザフォードが組織を再建していきました。彼は、「1914年以来、キリストが天での統治を開始し『終わりの日』が始まった」というように予言を再解釈し、基本的には現代に至るまでこの解釈を採っているようです。』
[ハロルド・キャンピング/ロイター]
米国でラジオ放送局を運営するキリスト教徒の男性が、2011年5月21日を「最後の審判の日」と予言し、話題となっている。予言では21日に地震が発生し、信仰心の厚い人は天国に召されるが、そうでない人は取り残され、数カ月にわたって続く世界の破滅に巻き込まれるという。
予言をしたのは「ファミリー・ステーション」のハロルド・キャンピング(89)。同氏は1994年にイエス・キリストの再臨を予言したことがあるが、今回の予言について、「いかなる疑いの影もなく成就する」と自信をのぞかせた。
ファミリー・ステーションは全米に66局を配し、提携先を通じ30カ国語以上で世界各地に向け放送を行っている。
キャンピング氏の支持者は、全米約2200カ所に最後の審判の日について屋外広告を掲示したほか、数十人が各地で予言を広めている。
土木技師でもあるキャンピングは、聖書の解釈やノアの大洪水などの古代の歴史を基に予言を行っている。21日はカリフォルニア州北部アラメダで妻と一緒に様子を見守る予定とし、「おそらくテレビかラジオなどのそばにいるだろう。(最後の審判の日に)世界の裏側で何が起きているのか興味がある」と述べた。
キリスト教には世界の終わりにキリストが再臨し、人間は審判を受けるとの考えがあるが、世界の終末の日を特定する予言は異端で、多数派とは一線を画している。
[新宿シャローム教会の富田慎悟]
『(中略)つまり、この2014年と2015年は聖書の歴史において非常に重要な「時」となります。天文学的な驚くべき確率で全ての事がこの時に一致して起こるのです。多くの人々が、終末の「時」に関して言うと、「危険だ。おかしい。異端だ。」と警戒し、教会はその事を語るのを恐れます。なぜなら今まで、様々な偽りの指導者によって「この日が再臨の時だ」という惑わしが多く蔓延したからです。
また教会だけでは無く、一般においてもノストラダムの予言や2000年問題、2012年のマヤ予言などが話題となり、実際にその時になっても「何も起こらなかったじゃないか。」と人々の心を終末に対して鈍らせて来ました。
しかし、今までの予言と言われるものは、全て何の聖書的根拠も無いものです。しかし、この2014~2015年は、御言葉の預言と、聖書のカレンダーに基づく「時」です。創世記を読むと太陽と月が創られた目的が「しるしのため、季節のため、日のため、年のため」と記されていて、その第一の目的は「しるしのため」です。
さらにヨエル書2章、使徒の働き2章には「主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。」と記されています。月食は月が血のように赤くなり、日食は太陽が暗くなます。明らかな天のしるしです。
しかし、その前に!幼子から老人に至るまで、今までの歴史の中で最も激しい聖霊の注ぎがもたらされ、「主の名を呼ぶ者はみな救われる。」のです。これから非常に短期間の間に、人知を遥かに超えた勢いで、爆発的な魂の大収穫が全世界でなされ、そして主イエスが花嫁を迎えに来られます。
私はこの事を思います。「終末の事を知っている。」のが花嫁ではなく、絶えず聖霊に満たされ、御言葉に従って忠実に歩み、聖さを喜びとし、日々祈り、主イエスとの親密さの中を生きる者。そして、麗しさと同時に手には主の剣を握り、勇敢に主の戦いを闘い抜き、主にある愛とあわれみを身に帯びて魂の大収穫をしていく。それがキリストの花嫁としての歩みです。
ダビデの幕屋はその「麗しい愛と戦い、種蒔きと収穫」の両方を同時に成し遂げる為の重要な拠点であり、現在日本中、世界中で急速な勢いで絶え間ない祈りと礼拝を捧げる祈りの家、ダビデの幕屋が回復しているのは明確な終わりの時代の「しるし」と言えます。
私達は、驚くべき時代、大いなる時に生かされています。今は、目を覚まし祈り、主に従い、主との時間を人生の第一優先とし、花婿なる主イエスと強く愛で結びついて生きなければいけない時です。これから始まろうとしている偉大な主の計画に胸を高鳴らせ。キリストの花嫁よ。目を覚ませ!』
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何を言うのも、権利として保障されていますが、言った人は、平然と口を拭うのですが、聞く人は、惑わされ怯え続けるのです。だから、言ったことを聞き分けることが必要です。聖書を読みますと、「キリストの再臨の日」、「空中携挙の日」、「世の終わり」、「最後の審判」は述べられてあります。でも、これらのことは《隠されている》のです。でも無理にその戸をこじ開けて、決定的な、断定的なことを言う人を警戒すべきです。
何も起こらないと、計算を間違えたとか、その他の理由をつけて言い逃れをし、訂正をし、それを繰り返すのが常套手段です。テサロニケの教会の中にも、その様な問題があり、パウロが警告しています。
『霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。(2テサロニケ2章2節)』
日常の生活を乱し、すべき義務を果たさなくなったりして混乱が、この教会にあった様です。聖書を読んで、真理を蓄えているなら、おかしな言動を見破ることができるのです。《聞くべき情報》と〈耳や眼を塞ぐ情報〉があります。アンテナを張って、『アッ、これは怪しい、おかしい!』と見破るのです。
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