“ singular( day ) ” と言う単語が、毎日新聞に出てきていました。「特異日」を意味しているそうです。とくに、今日の「11月9日」は、ドイツにおいてはそう呼ばれる日なのです。偶然に起こる出来事が、同じ月の日の起こる確率はなさそうですし、何か意味があるわけでもな誘いですが、じつに興味ぶかいものです。
1918年、ドイツが王政から共和制国家に移行の宣言。
1928年、ヒトラー等によるのミュンヘン一揆(クーデター)。
1938年、ユダヤ人の暴動。
1989年、ベルリンの壁の崩壊。
私にとっては、二親、三人の兄弟、妻、4人の子ども、孫や嫁や婿の誕生日は「特別日」で、入学日」、結婚記念日なども入るでしょうか。
聖書の中で、パウロが次にようなことを言っています。
『ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。(ローマ14章5節)』
日本の社会も、お隣の中国や韓国も同じですが、日や方角に拘りをもっています。もし、日や方角に煩わされているなら、虜にされていて、日にではなく思いから解放される必要があります。
駐車場のナンバーリングや病院の階数や病室番号に、日本では「四」と「九」が記されないところが多くあります。大変お世話くださった宣教師さんが、駐車場をお借りしましたら、所有者の方が、駐車場所にナンバーリングをしたのです。縁起の悪いとされる数字を除き、宣教師が西洋人だと言うことで、「13」を付け加えて、記さなかったのです。
私は、朝の四時四十分に生まれたと、父の手帳に記されてありましたし、家内とは四月四日に結婚式を挙げました。それから、もうすでに52年を過ぎていますが、無事に「金婚式」を迎えることができましたし、まだ助け合いながら一緒に生活を続けています。
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でも、今一番気になっているのは、「キリストの再臨日」です。何人もの自称預言者たちが、日を特定をしていますが、その日は隠されていて、聖書をどのように読んだとしても、特定できないでいます。
日に意味があるのではなく、これまで多くの聖徒たちが待ち望んできた《出来事》に意味があるのです。世界の動静、自然界の異常現象、人間の愛の欠落、国家間や民族間の対立、戦争の頻発が見られる今は、なんとなく、《その日》の到来が、時間的に近そうに感じてなりません。
準備はできているでしょうか。いつキリストがおいでになられても大丈夫でしょうか。マタイに福音書に次のように記されてあります。
『だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。 (24章44節)』
「思いがけない時」においでになるのです。英欽定訳聖書には、” for in such an hour as ye think not the Son of man cometh.” とあります。「想外の時」に来るのでしょう。つまり、予期できないで、秘密裏にされているので、ある人は恐れ、ある人は待望するのです。
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