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散歩道の脇に池があります。先週も、総合運動公園への道を、少し course に変化をもたせて、警察署の脇にある池で、一人の釣り人が竿を垂れて、水面を眺めていました。ああやって魚がかかるのを待つのも、老いの生き方の一つなのかと思うのですが、一所に座り込んで、半日を過ごすよりは、川辺や庭先に咲く、季節の花を眺めながら、歩く方が良さそうです。
3週間ほど前からは、コスモスが目立って、どこにも咲いています。もうずっと前のことですが、子どもたちが帰郷した時に、〈コスモス街道で満開!〉というnews を聞いていたので、ちょっと距離があったのですが、みんなを誘って、その街道に出かけたたことがありました。
秋の信州は、生まれ故郷に似て好きで、時々出かけたのです。その日、「コスモス街道」に着きましたら、三つほどの畑に、コスモスが咲いていました。延々と街道沿いに咲き誇っているように期待したのですが、一郭に植えられてあっただけで、あっさりしていました。そこにテントが張られて、私たちのように、コスモス目当てに来た観光客に、食べ物が提供されたていたのです。
コスモスへの期待は裏切られたのですが、時あたかも《食欲の秋》でもありましたし、朝食もそこそこ食べただけでしたから、その地の農家のみなさんの炊き出しで、みんなでお昼をいただくことができたのです。子どもの頃に通学路の脇に咲いていたコスモスと同じ、淡いピンクの花は歓迎してくれていました。
この花は、赤道間近の中米が原産で、スペインに持ち帰られてから、世界中に種子が広く行き渡り、日本には、明治12年(1890年)にやってきたのだそうです。ギリシャ語の κόσμος (調和、秩序、宇宙といった意味です)を、「秋桜」と書いて、コスモスと読ますのですが、こういった当て字を、当てた方は、感性が豊かだったのでしょう。
洪水にあう前に住んでいた家の庭に、種を蒔いて、コスモスの花が咲き始めましたら、それを見た小朋友のお嬢さんが、家に来るたびに、その花を欲しがったのです。家内は刈って、柔らかな紙に包んであげていました。さあ花を愛でる心が、大きくなあーれ!
(散歩道に咲いていた路傍のコスモスです)
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