『 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。(箴言23章25節)』
『あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。 (申命記5章16節)』
『それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。 (詩篇139篇13、16節)』
『私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。(2テモテ1章5節)』
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私たちは、主なる神のご計画と祝福の中で、母親の胎に宿り、手と腕に抱かれ、膝にまとわりつき、背におぶわれ、乳房に養われ、手で食事を受け、手を握られて歩んで、わたしたちがあります。さまざまな事情で、母の愛を受けなかったとしても、人は胎内での温かさ、心臓や血流の音の記憶が残されていると言われています。
肺炎で死にそうになったわたしを、献身的に世話してくれた母、「エホバ・ラファ(出エジプト15章26節)」でいらっしゃる神に、平癒を叫び祈ってくれた母がいて、今日のわたしがいます。癒えて健康になって、悪戯小僧になって、バスケットボールやハンドボールやテニスボールができるようになっていきました。跳び箱もクラス一でした。
結婚して、4人の子が与えられ、仕事も与えられ、伝道の業にも携われ、海外にも出掛けられ、今は静かな時を、家内と共に過ごしています。母業を終えた家内は、それでも一人一人の様子が気になって、今では、息子に買ってもらったスマホで、チャットを使って、毎朝、聖句を送信しています。
昨日は、家内を母のように慕ってくれる中国人のご家族が、ご夫婦と二人のお子さん連れで、蘭花をお祝いに持参して、中国漢方薬や食材や果物をお土産にして、訪ねてくれました。お昼は、洋麺屋五右衛門という店で、食事までもご馳走してくださったのです。
とても楽しい時を過ごすことができ、家内は大喜びでした。彼らの華南の会社の工場の応接室で、聖書研究会を持っていました。彼らは三代目のクリスチャンで、美しい海浜の村で育って、何度か彼らのふるさとにお連れいただきました。
「母の日」に、母を思い出しました。家内は、昨日、駅に置かれ、自由に弾けるピアノの前に座って、讃美で駅頭を満たしたいと、夕方出掛けて行きました。四人の子供たちからは、『ありがとう!』の message が届きました。若い中国人のお母さんからも、『母情节快乐muqinjiekuaile!』とチャットがあり、感謝していました。
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