乾いたパンと平和

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 『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは(私訳:一椀のオジヤやスイトンがあって、赦しがあるのは)、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(箴言171節)』

 「家庭」とは、『夫婦・親子など家族が一緒に生活する集まり。また、家族が生活する所。(広辞苑)』だと言われます。神さまが、私たち人の保護、安息、関係作り、学習の場として与えてくださった《祝福の世界》ではないでしょうか。

 ご承知の様に、今日の世界中で見られるのは、家庭が崩壊して、機能を働かせていないばかりか、幼稚園や学校の世界に、家庭から出て行った幼い子どもたちが、心理的にも肉体的にも傷つけられているという悲しいニュースが、多く報じられていることです。今では、家庭に中にも、そう言ったことが、事件として起こっているとの報道が多くあります。

 一日の出来事を、親子で語り合い、ホッとできる交わりのできる場が、今、なくなりつつあります。神さまが意図された時間的な心理的な余裕が、心にも家庭にもなくなっていることは、悲しい事態であります。学校でも同じでしょうか。『もし祈ることができたなら!』、とわたしは思ってしまうのです。誰も祈らなけれならない課題を満ちながら、どう祈るか、だれに祈るかを知らないでいるのです。

 わたしは、この時代の大切な課題は、「家庭の回復」だと思ってやみません。4人の子育てで、家内と心掛けてきたのは、冒頭に掲げた、聖書のことばのような「家庭」でした。そこに記された家庭は、物質中心の集団ではなく、愛とか理想とか幻とかの「精神中心の場」であるように、示唆されています。そこには喜びが溢れていて、物を持ち、お腹がいっぱいにされる満足ではなく、精神の高さによる満足に違いありません。

 地球上の最高の「堡塁(ほるい)」が家庭です。親子喧嘩、兄弟喧嘩が繰り返された父の家でしたが、あれって recreation(レクレーション/気晴らし)だったように思い出すのです。あの時、住んでいた街で、一番賑やかな家だったのではないでしょうか。自分が、家に帰って来るたび、『お母さんいる?』と言って家に入るというわたしに、近所のおばさんが、〈 mother  complex 〉だ、と言ったようです。

 夫と四人の男の子が、『無事であるように!』との願いを祈りで表し、神のいますことを示してくれた母でした。信仰を強要しませんでしたが、クリスチャンを生きていた母の生き方に、強さをみていたのです。何度か病んで、死線を彷徨っていた母の無事を確かめたかったのでしょう。やがて、家族は、母の信仰を継承したのです。

 喧嘩ばかりの家庭でしたが、母が父の家を回復したのです。だれも、理想的に、成功的に人生を歩むわけではないのでしょう。成功者の陰にも、辛い経験があって、それを乗り越えて生きてきたのでしょう。恵まれない環境に中で生まれ、生きてきても、素晴らしい出会いがあったり、懐かしい出来事があって、力付けられる時あって、『生きていてもいいんだ!』と、得心して生き抜いた人だっているのでしょう。

 それは、全能者、創造者の元に帰るための切っ掛けになるに違いありません。『継母のヨシエに、蔑ろにされたことがあった!』と、母と一緒になる時に、父が自分の過去を語ったのだと、母に聞きました。弱さも、自分の妻となる母に漏らしたのでしょう。その継母が亡くなって、自分も老境に差し掛かった頃、『ヨシエさんは、あの時代、シュークリームを作ったり、いろんなものを作って食べさせてくれ、料理が上手な人だったよ!』と言って、継母を懐かしんでいたことがあります。

 腹違いの弟や妹の弁当と、自分の弁当に差別があったのだそうですが、きっと思い込みや拗(す)ねた思いがあったのでしょう。子どもだった父にありそうなことです。実際、辛いこともあったのでしょう、でも歳を重ねて、それを忘れたり、赦したりして、イエス・キリストを、救い主と信じて、父は帰天したのです。

 豊かな食卓で育っても、貧相なおかずを食べて大ききくなっても、神のいます事を信じられたら、万事は益になるのでしょう。オジヤもスイトンも、懐かしくって、時々無性に食べたくなってしまいます。母は作っても、自分では食べなかったのです。子ども頃、そればっかりで育ったからだそうです。二人っきりのわが家は、「病と果敢に闘う妻」と伴にいて、今日も「平和」でおります。

(中近東で食べられる「パン」です)

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