永遠のいのち

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 万葉の歌詠みたちが、あんなに素敵な日本語で、人を思い、故郷を思い、明日を考えていたのを知ると、日本人の思考の深さと、日本語の美しさを感じてなりません。安芸高知の人が詠んだ歌が、万葉集にあります。

 繩(なは)の浦に 塩焼くけぶり 夕されば 行き過ぎかねて 山にたなびく

 高知の室戸岬に行く道の途中に、大山岬があります。そこに、鹿持雅澄の歌碑があるのです。高知城下に妻を残して、単身赴任した大山岬で、妻を思って詠んだ和歌が、そこに刻まれています。そこには、「愛妻之碑」とあります。

 あきかぜの福井の里にいもをおきて安芸の大山越えがてぬかも

 「いも」とは、妻を言う言葉なのです。この鹿持雅澄は、奉行所の仕事を経て、藩校の教師になります。万葉の歌に魅せられて、その研究に没頭し、膨大な研究資料を残していたそうです。明治になってから、「万葉集古義」として出版されいて、その収集を命じたのが、明治天皇だったそうです。

 学校で「防人歌(さきもりのうた)」を学んだことがあります。妻や子と別れて、辺地防備のために駆り出されて、九州などの海岸部などに駆り出され、派遣された人たちのことを「防人」と詠んだのです。他の地から日本防備のためにやって来て、和歌を読んだわけです。その言葉づかいや、心の動きに驚かされてしまいます。

 先日、新小岩に出かけたのですが、その川向こうの市川市に、「真間の手児奈(ままのてこな)」が水汲みをしたという井戸が、亀井院というお寺に残されています。高橋虫麻呂が、万葉に次の歌を詠んでいます。

 葛飾の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ  手児奈し思ほふ

 葛飾の真間に、絶世の美女がいて、「てこな」と呼ばれていました。一度嫁ぐのですが、真間の親元にでしょうか戻っています。すると近郷近在、遠方から多くの男たちがやって来ては、強烈な恋心を寄せるほどだったそうです。それに耐えられないで自死して亡くなってしまうのです。そんな逸話があって、万葉に詠まれたのです。

 日本は、万葉の昔から、恋や愛のゆえに、死にゆくことを礼賛(らいさん)することがあるようです。昨今、さなざまなことが原因して、自死が目立って多くなっています。決して〈美しい死〉などあり得ません。そんなNewsを聞くと、悲しくなってしまいます。わたしの長男は、週に数日、「いのちの電話」の相談員を委嘱されて、その大切な務めを、受話器を握って担っています。

 もう何年も何年の前に、水曜日の集会に、一人の若い女性がやって来ました。集会が終わってから、お話しすると、死に場所を探していて歩いていたら、教会の明かりが見えて、つい入ったのだそうです。彼女は、信仰を告白し、バプテスマを受け、市内の教会の保育園のお手伝いをさせていただき、元気になって、故郷の家に帰って行かれました。

 もう六十近くになっておいででしょうか。幸せな結婚生活、家庭生活をしておいででしょうか。一緒に生活をし、小学生だった長女は、単身、彼女の実家を訪ねたことがありました。生き直せるきっかけになった出会い、状況がありますが、創造主、救い主に出会うなら、どんな生き辛さも超えて、生きていかれるのです。

 聖書は、たびたび「生きよ」と記しています。死に急いで、自ら命を絶つことを禁じています。それでなくとも人の死は必ず訪れるからです。「永遠のいのち」にも、聖書は言及しています。いのちの付与者である神さまは、人を生かすことがおできでいらっしゃいます。

(「ある信徒」によるイラストです)

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