慈母と厳父

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明日から十二月、最後の月を迎えます。どなたも、この2013年を、感慨深く思い返しているのではないでしょうか。毎年、その年を、「漢字」の一字で表すのですが、「暑」が選ばれても好いほどの猛暑、酷暑の夏を思い出します。豪雨、ゲリラ豪雨などと呼ばれた、異常な降雨量の年でしたから、「豪」も好いかも知れません。ということは異常気象の年でしたから、「異」はどうでしょうか。

小説家で、物理学者の寺田寅彦が、こんなことを言っています。『日本人は自然の「慈母」としての愛に甘えながら、「厳父」の恐ろしさが身にしみている。予想しがたい地震台風にむち打たれ、災害を軽減し回避する策に知恵を絞ってきたところが西洋と違う。』とです。日本のように、こんなに自然の恵みをいただく国は、めずらしいのではないでしょうか。でも、時としては、「雷親爺」のように、自然界が牙をむき襲ってもくる国でもあります。ビクビクしたと思ったら、満開の桜や山を萌えさせる紅葉に慰められたりされて、私たちは生きてきたのです。

二人の兄と一人の弟、四人兄弟の私たちも、母の「優しさ」と父の「厳しさ」とで育て上げてくれたことも思い出されます。そんな母に、一度だけですが、叱られたこともあります。また、あの父に、褒められたり、煽(おだ)てられたり、抱きすくめられたこともありました。剛柔、織り交ぜて両親の子育てがあったのです。

不思議な思いがするのは、父が六十一の誕生日の直後に亡くなり、父よりも長生きしている自分が、父を思い返している今、年上の感じがしないのが、なんとなくすぐったいのです。やはり、父は記憶の中にある父だからなのでしょう。もう少し長生きして、親孝行をさせて欲しかった父に比べて、長寿を全うした母の晩年の穏やかな表情が思い出されます。

今月は、二人の孫と私の誕生月なのです。みんなバラバラに別れ住んでいますから、一緒に誕生祝いをしたいのにできないのが残念です。これからの孫たちと、年々老いていくジイジの私ですが、その年齢差に、人生の面白さがあるのに気づくのです。中国語の「老」は、「老いていく」という意味だけではなく、「経験豊か」とか「箔(はく)のついた(値打ちがあって貫禄があると言ったことでしょうか)」との意味があるのです。それで、奥さんのことを「老婆(laopo)」と言います。これは、「老いてしまっておバアになってしまった妻」ではなく、「愛妻」のことです(夫のことは「老公(laogong」)。

としますと、「完成」に向かっているのでしょう。明日からの新しい月に、心を弾ませてくれることが起こることを願いたいものです。そして「箔」をつけるために、輝いた「2014年」を迎えたいですね。

(写真の花は、「水仙」です)

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