知情意

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夏目漱石の「草枕」の初めに、「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」とあって、とても有名な一文です。これは、「道理を振りかざして、人と関わると、どうしても悶着や摩擦を起こしてしまう」、「情に動かされると自分を見失ってしまう」、「意地を張っていると諍(いさか)が起こってしまう」と言ってるのでしょうか。どうも漱石は、人間関係や社会生活で、だいぶ難儀したのではないのでしょうか。

近代日本が形成されて行く上で、「欧化政策」を忘れることはできませんが、「近代日本語」が作られて行く上で、漱石の果たした役割は大きかったのです。というのは、彼の作品が好まれて多くの人に読まれたからです。どうしてかというと、彼は、「江戸っ子(「江戸市民」と言えるでしょうか)」で、「落語」をこよなく愛した人で、庶民の言葉を駆使して、小説を書いたからです。三代目の「小さん」の高座を特愛したそうです。あの「坊っちゃん」の喋り言葉が歯切れがいいのは、そのせいです。

この漱石の作品から影響を受けた人に、あの魯迅もいたのではないでしょうか。魯迅の作品の中には、多くの「日本語表現」が見受けられるのです。彼は、中国の近代化に文学の面で寄与していますから、「近代中国語」に強く影響を残した人でもあるのです。先週、「馬尾」という街にある、「海軍博物館」を見学しました。そこには多くの写真が掲出されてあり、日本の初代の総理大臣・伊藤博文に写真も見つけたのです。その中に、将来の海軍軍人を養成するために選ばれたのでしょうか、百人以上の少年たちの集合写真がありました。イギリスに留学させて語学習得をさせたかったようです。やはり、中国もヨーロッパ諸国に学ぼうとしていたのです。

和気藹々とした交流のあった時代があって、「今」があるのです。私たち日本は、かつて隋や唐の時代に、多くの留学生が東シナ海を渡って行き、旺盛な知識欲で、中華文化を学んだのです。明治期には、反対に、多くの中国の 青年たちが、日本にやって来て学んだのです。私も「一学徒」として、やって来ました。こちらの方に、学びたい思いは、まだまだ尽きません。今日は、冷たい北風が吹いていましたが、陽がさしてきたら、若者たちは半袖になっていた人もいました。やはり「華南の晩秋」です。

(写真は、「山茶花」です)

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