ノアの方舟に前夜のような

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『ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。 そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。 ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟に入った。 彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、入った。 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところに入った。 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。 それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。 水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。 水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。 水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。(創世記7章11~20節)』

 聖書を読んで、『「ノアの方舟(はこぶね)」の記事は、ただの物語であって、実際にあったことではないのです!』と言う方がおいでです。「天地の創造」、「紅海の海底歩行によるエジプト脱出」、イエスさまの「処女マリアの聖霊による懐妊」、「死者の蘇生」」、「湖上歩行」、「世の終わりの審判」などもただの創作物語だと言っています。

 神の御子イエスさまの奇跡も審判も救いもない、ただ道徳的に正しく生きただけのちょっと奇妙な人間イエスの戯言(ざれごと)だと言うのです。でも、私の息子は、4歳ほどの時に、涙を流してイエスさまの十字架の苦しみに同情していました。しかも十字架の死は、『ボクのためだったんだね!』と、全く疑うことなく、『ごめんね!』とまで言っていました。聖書を聞いた通りに信じていたのです。46になった今でも、イエスさまを、神の御子と信じて、心から賛美しています。

 先日、千葉市や船橋市、さらに埼玉県や石川県と富山県への大雨のニュースを伝えていました。また、ネパール、中国、韓国でも、ヨーロッパのフランスなどでも、鉄砲水、熱射被害、暴雨被害、さらに地球規模で、地震など、枚挙に暇(いとま)ありません。一夜の雨で、あれほどに雨が降って、日常が破られ、街の機能は麻痺し、被災されたみなさんは、死の危険に恐怖で怯え、眠られぬ夜を過ごしておいでです。現実としての自然災害なのです。

 ノアの時代の大雨は、40日40夜降ったと記されてあります。そればかりではなく水門が破れ、地下水が溢れ出し、地表を覆ったと記されています。単なる物語だと思ってきた21世紀の人々は、こんな暴雨のニュースを聞いて、送信されてくる現実の映像を見て、モーセの洪水を引き起こした、全地を覆ってしまう、大雨もありうると思い始めているのではないでしょうか。

 このノアの時代の大洪水は、どうして起こったのでしょうか。神さまは短気で怒りやすいから、堪忍袋の緒を切ったことが原因で起こったのでしょうか。聖書は、

『地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。 神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。(創世記6章11~12節)』

 地上の人の生活が、堕落、暴虐、道を乱す、と言う状況下にあったのです。文語訳聖書には、

『時に世神のまへに亂れて暴虐世に滿盈ちたりき 。神世を視たまひけるに視よ亂れたり其は世の人皆其道をみだしたればなり。(NKJ聖書訳“The earth also was corrupt before God, and the earth was filled with violence. And God looked upon the earth, and, behold, it was corrupt; for all flesh had corrupted his way upon the earth.”)』

と翻訳されています。ひとが、人のあるべき道から外れて、人心を乱し、暴虐に満ち溢れ、人の生活の道が乱れていたのです。今や、21世紀のこの地上に見られるのは、寸分違わない状況だったのではないでしょうか。創造者なる神さまには、見るに耐えられない状況下にあったのです。

 ノアの時代の裁きは、人の悪が地にはびこり、その心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであったからでした。ノアの時代の人たちは、諸悪を犯していた殺人者であり、姦淫者であり、詐欺師であったのです。何よりも神を神と認めようとしなかったのです。

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 そのような時代に、神さまを信じて歩んでいるノアとその家族8人を、人々が見て、知っていても、まことの神さまの言われることに、耳を傾けたり、時の動きを見聞きしても、神を信じようとしなかっのです。地に住む人の世に、悪や犯罪が満ち溢れていたわけです。

 現代でも、世界的には、日常に見聞きするような、大災害が増えています。各国の政府や多くの人がその為に尽力しています。人々は災害復旧のために尽力して、善行に励んでいても、警告される神さまを信じていないのなら、その人を、神さまは、決して義と認めることはできません。きっと災害は、人々を悔い改めを迫る、神さまの憐みに満ちた働きに違いありません。

 レビ記26章、申命記28章には、イスラエルに対する神さまからの祝福と呪いについて記されていますが、この原則は、今の21世紀の時代にも当てはまるのではないでしょうか。それは黙示録に記してあるように、

『これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、 その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。(黙示録9章20~21節)』

のです。人に及ぶ災いを、神に立ち返るための機会として、信じようとしていません。大雨や地震の襲う21世紀の私たちへの注意勧告は、『命の助かる可能性が高まる行動をとって、身を守り、安全の確保を最優先をするように!』と、公共放送は、同じように言っているのです。

 あの「ノアの方舟」に、乗り込んだ8人によって、人類は再出発をしています。イエスが来られ、教会が誕生した時も、使徒たちが宣教をしてから、時が移って、21世紀のキリスト教会も、

『私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。(ローマ1:16)』

 ノアの時代、神さまは、ノアが方舟の建造を、神のご計画の通りにするのを、あの時代の人々は眺めていました。方舟の戸は閉じられないまま開かれていたので、その方舟に入れる機会があったのです。でも誰一人、そこに入ろうとはせず、眺めているだけでした。それは、まさにノアの時代の人々への警告をされておいでだったのです。今日日の大災害も同じです。

 明らかに、自然界も、人間界も、荒れて、途方に暮れているような状況になっていないでしょうか。ノアの日の前夜のように感じてならないのは、私だけではなさそうです。神さまは、悪や罪を憎まれ、洪水で裁かれますが、「方舟」によって救いの御業をなさったように、この時代には、十字架による「救い」が定められていて、これを全力でなさいます。絶望する前に、『神を信じ、わたしを信じなさい。(ヨハネ 14:1)』とおっしゃられるイエスさまをことばを信じるのがよさそうです。

(“いらすとや”の「ノアの方舟」、“Christian clip arts“のイエスさまです)

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