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学校に行っていた頃には、私たち4人兄弟は、それぞれ運動部に所属して、走ったり、飛び跳ねたり、投げたり、捕ったりしていました。二人の兄も、下の弟も、そして自分も、野球好きの父の影響でしょうか、スポーツに励んでいたのです。
それほど若さを謳歌し、輝いていたのです。ところが、もう80年も、みんな生きてきて、それが何か霞んで見えてきそうな今なのです。上の兄が、テレビで放映されるアメリカンフットボールの試合に出るというので、父はテレビジョンを買ったほどでした。下の兄の高校野球の東京都の予選試合が、確か神宮球場で行われた時、父は応援に出掛けたと思います。弟の時は、どうだったでしょうか。彼は、少林寺拳法やアイスホッケーや柔道をし、幼稚園生から高校生まで、教師になって体育指導をし、母校の監督までした教師でした。私は、東京都の予選で落ちたクラブに所属していました。
兄弟たちは、運動部の猛者で、はち切れるような若さで輝いていたのです。上の兄は、東西対抗の大学選手権の優勝チームで、スタメンでした。下の兄は、大学にも推薦される選手でした。弟は、大会で決勝戦に出場しているかも知れません。
それほどでしたのに、寄せてくる年齢には、今や逆らうことができずに、無理をした結果を招いて、痛さに苛まれたり、服薬しなくてはならない、そんな今を迎えています。
次兄が弟と、二人で、電車に乗って、我が家を訪ねてくれたことがありました。闘病中の家内の見舞いにでした。しかも二度もです。その時、兄の杖をつく姿を、初めて見て驚いたのです。あんなに元気で活発だった兄の初めて見た姿に、しばし言葉が出ませんでした。
その兄が中学生だった時、家に帰って来ると、長靴に履き替えて、あわてて出て行こうとしていました。『どこへ行くの?』と聞くと、『ケンカ!』と言って走り出て行き、意気揚々として帰って来ました。柔道をやっていて、体の大きい相手と喧嘩したのです。そのことがあったのを、思い出して、驚いたわけです。
就学前に、肺炎で自分は死にかけました。小3まで病欠児で、家で寝ていたり、母に連れられて病院通いをしていて、出席数の少ない低学年を過ごしていたのです。4年になってから、突如回復して、小6になって体育部長をしたほどに強くされたのです。中学ではバスケット、高校ではハンドをすることができました。ただ一つの自慢は、野球部のキャッチャーよりも、ソフトボールの遠投で勝てるほどでした。
兄弟たちは、級長をした経歴があるのですが、自分は、一度もありませんでした。とったのは、街の芸術祭で、絵と工作とでの銅賞だっただけなのです。褒賞とか役付けなどとは無縁で過ごしていました。
『そこ(エルサレム/神の都)に住む者は、だれも「私は病気だ」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。(And the inhabitant will not say, “I am sick”;The people who dwell in it will be forgiven theiriniquity.)(新改訳聖書 、NKJ訳イザヤ書33章24節)』
今朝、凄い「みことば」を見つけたのです。何と、『私は病気だとは言わず!』とありました。神の都、神の御名を置いたエルサレムに住む者は、そう告白すると言うのです。病と無縁で生きられるなら、どんな地位も名誉も財産もいりません。
そればかりではなく、『赦される!』のです。置きっぱなしの母の財布に、いつも小銭が入れられていました。それをくすねては、駅前の駄菓子屋にとんで行って、麩菓子や豆菓子やかりんとうを買って食べたのです。母が作ってくれる蒸かし芋や小麦粉の薄焼きでは満足できなかったからです。
母は、承知で財布を置き続けていたに違いないのです。10円、20円と持ち出すのが、三番目の私だと知っていたのです。罪深さというのは、そんなくすねる自由さが、かえって怖くなって、いつの間にかやめたのです。それは、持ち続けた私の罪意識、いえ罪そのものでした。
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いつも心にひっかりのあることが、私にはあります。中学修学旅行で、京都の金閣寺に見学に行った時に、賽銭箱にお金が落ちないでひっかかっていたので、つい母の財布にのばしていた同じ手を、それにのばして失敬してしまったのです。
それがいつも心に引っ掛かるのです。今までもです。返しに行かなければならないのです。そんな責めを感じますが、クリスチャンになった私は、賽銭は一度もしたことがないので、返すと賽銭になるのでしょうか。さりとて、責められる思いはあり続けているのです。
『子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。(1ヨハネ2章12節)』
神は、エルサレムの住人を「赦す神」ですし、私も、神さまの前で、罪を悔いて「赦された」と信じていますが、人の前で犯した罪は、その人に赦されるべきだとの思いがあるので、母にも金閣寺にも赦されないといけないのだと思い続けているのです。でも母は、もう亡くなってしまいました。
『供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。(マタイ5章24節)』
主の献金をしてきた私ですが、その前に、すべきことがあるように責められるのです。「行って」とありますから、行かなければならないのです。今朝も、布団の中で、そんな思いにさらされているのです。具体的な行為が必要なのでしょうか。そんなこと言っても、未処置なことが多く、もう忘れてしまった悪行も多くあって、神のみ前で「赦された」確信はあるのに、どうすることもできないのです。
それは、私と相手との関係なのです。亡くなってしまった相手だって、会社だってありそうです。年をとると、過去を、また疾しい思いが、そう言ったふうに、どなたも思い出させられるのでしょうか。老いとは「人生の精算」の時なのかも知れません。
『神が多くの子たち栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。(ヘブル2章10節)』
病気の話題だらけの今ですが、エルサレムではなく、下野の地に住む私も、『私は病気ではない!』、『赦された!』と言えるのです。この身体は、やがて栄光の姿に変えられると、そう約束されているからです。聖路加院長をされた日野原重明さんは、『 健康というのは病気があるにもかかわらず、健やかな気持ちを保つこと、そして、上手に生きている姿である 。』と言っていました。この方もクリスチャンでした。
今朝も、健やかな気持ちをもって起きることにしましょう。私は、「赦し」を確信していまして、「救い」は盤石なのです。
(Christian clip artsによるイラスト、ウイキぺディアのエルサレム、金閣寺に冬化粧です)
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