神の子であり人の子であること

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   『すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。(使徒831節)』

 新宿から小田原や江ノ島を結び京王線に、「芦花公園駅」があります。この公園は、ここに恒春園という家を構えて住んでいた徳富芦花にちなんだ名の駅です。肥後熊本の人で、青年期に、兄の蘇峰と共に、ジェーンズの熊本洋学校に学んでいます。後に京都の同志社に転じて、青年期を過ごし、兄弟二人、キリスト教の洗礼を受けています。

 明治初期に、欧米思想が怒涛の様に入り込み、多くの文人たちが、その波を被っています。それは江戸時代以前から禁教とされていたキリスト教の思想が、じょじょに解禁されざるを得なくなって、その感化が、おもに青年たちの間で大きかったからなのです。芦花は、「人道主義」を言い表したトルストイ(18281910年)に傾倒し、彼に会うために、わざわざロシアのヤースナヤ・ポリャーナに、彼を訪れ、その途次、エルサレムやガリラヤも訪ねています。

 芦花や蘇峰だけでなく、北村透谷、有島武郎、武者小路実徳、島村抱月などの明治の文人の多くが、トルストイの作品を読み、彼の思想の感化を受けています。何人かはキリスト信仰か離れてしまっています。「イザヤ書」を呼んでいたエチオピアの宦官が、その理解に苦しんで、『導く人がなければ、どうしてわかりましょう。』とピリポに言っています。聖書を、正統な方法で読まず、学ばず、聞かないで、個人的な解釈に従うなら、迷路に迷い込んでしまうのですが、そう言った人たちが多くありました。

 「イエス伝」と言う書を、ルナン(18231892年)が書きました。彼のイエスさまは、比類なき人間、詩人キリスト、自然児キリスト、田舎者キリスト、平民キリストであって、神の子ではなく、人間の子に限定しました。ルナンもトルストイも芦花も蘇峰も、パレスチナに旅をしますが、ガリラヤの自然に印象を残すだけで、その地を巡り歩いて、救いと癒しと永遠のいのちをもたらせた「救い主イエス」への信仰を継けsなかったのです。

 彼らは自然を賛美し、自然美を謳歌したのですが、その自然を造られた神を賛美せずにいたのです。そういった彼らのほとんどが、信仰の後退、離反、棄教に移って行くのです。このルナンに悪い感化を与えたのが、1835年に、27才で「イエス伝」を書いたシュトラウス(18081874年)でした。彼は、シュライエルマッハーの考えを踏襲して、聖書から奇跡を取り除いて、「人間イエス」を書いたのです。

 この思考の流れの中に、ノーベル賞を受賞した、密林の聖者と言われたシュバイツアーがいます。彼もまた、「イエス伝」を書いていて、聖書の奇跡を認めてはいないのです。奇跡を、イエスさまの生涯の記録から取り除いた「人間イエス」を掲げた彼らの教説は、キリスト信仰を改革することはできず、歴史の中に沈んでしまいました。

 理屈で立っていた私には、エチオピアの宦官の様に、「ピリポ(講解者、解説者、教師)」がいて、私に聖書を「神のことば」、「いのちのことば」として、《わからせてくれた》ことに、深く感謝しているのです。8年間教えを受けた宣教師、さらにJ.G.メイチェン、ジョン・マーレー、内村鑑三、竹森満佐一、菊池吉彌、W.リュティ、岡田稔、榊原康夫などの方々の書籍や説教テープによってです。信仰的な感化がじつに大きかったようです。

 それは、私に健全な信仰の土台を据えてくださった人、書籍、信条、さらに人格的な感化でした。カナダ人宣教師の教会に導かれた母も、単純に聖書を信じ、イエスさまをキリストと信じて、95歳で帰天しています。よく祈り、賛美をしていた母でした。

(“ キリスト教クリップアート” から「ピリポとエチオピアの宦官」です)

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