遊び

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滝廉太郎の「お正月」、新しい年が来るのが待ち遠しくて、よく歌った記憶があります。

もういくつねると おしょうがつ
おしょうがつには たこあげて
こまをまわして あそびましょう
はやくこいこい おしょうがつ

もういくつねると おしょうがつ
おしょうがつには まりついて
おいばねついて あそびましょう
はやくこいこい おしょうがつ

男の子は凧(たこ)や独楽(こま)、女の子は追い羽根(おいばね)が、正月の遊びでした。私たちの世代には、そんな遊びがあって、とても懐かしく思い出します。家の中では、「福笑い」や「カルタ」や「トランプ」で遊んだのです。

独り遊びもありましたが、ほとんどは「集団遊び」でした。『勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない、お布団かぶってちょっと来ておくれ、お布団ぼろぼろ(若しくはびりびり)行かれない、お釜かぶってちょっと来ておくれ、お釜底抜け行かれない、(鉄砲かついでちょっと来ておくれ、鉄砲あるけど弾がない、)あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよう』とです(東京都下版)。

陣取り、鬼ごっこ、馬乗り、馬跳びなんかもありました。夕方のラジオ番組が始まるまで遊んで、「笛吹童子」などの番組を聞こうと家に帰って、ラジオの前に座って聞き入ったのです。

テレビもゲーム機も無かった時代の素朴な伝統的な遊びが、代々受け継がれていた様です。体のふれあいが懐かしいですね。遊び仲間の距離で、体温の温もりを感じられる様な近さで遊んでいた記憶があります。竹馬にも乗りましたし、兄が作ってくれた雪橇(ゆきぞり)で、崖を滑り降りたりもしました。

ザリガニやハヤ(川魚)を釣ったり、屑屋のおじさんの助けで、小川の流れで、金目のものをすくったり、水道管の繋ぎの真鍮製の栓を掘り起こしたこともありました。そんな手伝いで、お小遣いをもらったりしました。

家に帰って、宿題をやった様な記憶がないのです。病気にならない時の外遊びに懸命だったのを思い出します。同じ学年での遊びではなく、近所の子どもが長幼が混じりながら、よく遊んだのです。面倒見のいいお兄さんがいて、遊んでくれたでしょうか。その遊びで、人間関係のルールを学んだのだと思います。

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