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世の中に、《嫌われ役》を買って出る方がおいでです。<嫌味>でも<皮肉>でも<当てこすり>でもなく、相手の行動を正そうという動機で、生活態度や生き方や生活の仕方などを注意してくれる方の事です。私は、そう言った、嫌われてしまいそうな役割を、敢然と果たした方と、出会った事があります。

それは、年配者の方々が、若い人たちを招いて、食や宿泊を共にして、数日過ごした時の事でした。交わりも学びも好かったですし、食事も美味しく食べたのです。"アメリカン・ディッシュ"で、普段食べた事がない食事でした。決して贅を尽くしたものではないのですが、ありふれた食材で、アメリカ人のご夫人たちが、手と愛情の混んだ調理をしてくれたのです。

食後の<皿洗い>は、みんなが順番で当番を決めたのです。ある方が、皿を洗っていたのですが、話に夢中で、よそ見をしながら、手を休めていて、水道水を流しっぱなしでいたのです。よく見かける光景です。井戸から汲み上げれば、際限なく汲み上げられる、水の豊富な日本での生活は、水の《有り難さ》を感じる事がありません。ところが欧米でも、ここ中国でも、水は《貴重な資源》なのです。

その時、カールソンさん(仮名)が、『君、水が流れっぱなしで勿体無い。水道のコックを閉めなさい!』という代わりに、そっと後ろから手を伸ばして、無言の内に、コックを閉めたのです。皿洗いをしていた方は、気付きませんでしたが、私は、まじまじと、その出来事を見たのです。使う時に、ちょうど好い量を流し、こまめにコックを閉めながら、皿を洗う術を心得たのです。人の感情を傷付けない配慮を、この年輩のカールソンさんの内に見て、多いに学んだのです。

これは無駄や浪費を省くだけではなく、《生き方》なのです。日本人が、アメリカに留学していた時、日本で生活していた時と同じ様に、生活しようとします。ところが、留学で、ホームステイした家庭は、タンクの温水を、家族全員で使うために、後の人の事を考えながら、温水を最小限に使うのです。

食事も同じで、サラダボールの野菜、プレートの上の肉、卵、ポテト、これらを食卓を囲む全員で食べるのです。一人がどれだけ皿に取って食べるかを考えながら、手を伸ばさなければなりません。暗黙の内のルールがあるわけです。『どう食卓で振る舞うか?』を学んでいるべきです。それが、日本人には、なかなかできないのです。好きな物を、皿いっぱいにとってしまう人が時々おいでです。

また会話も同じです。一台の車に、<2種類の人>が乗っています。英語だけ喋れる一人、日本語と英語のできる四人が乗っているのです。三人の日本人は、多数者を好い事に、日本語を理解できない人がいることに配慮せずに、とうとうと日本語だけを喋り続けるのです。話題に入れない一人の存在が無視されているのです。

ところが、もう一人の方は、日本語のできない、運転をしてくれているご婦人のために通訳をして上げていました。そして共通の言語で会話をする勧めを、全員にしたのです。言葉を理解できない人の事を考える事をしない、こんなケースが、日本人の私たちには多いのです。鉄則は、《五人の共通語》で話すべきなのです。こういった感覚を身につけていない日本人は、なかなか国際人になれないのです。

「話題」も同じです。自分ばかりが話して、人の語る話を聞かないのです。この席の主賓が誰かをわきまえられないで、自己中心的に、話と話題を独占してしまう人が、時としています。どんな話題が好いのかを、考えながら、みんなが話し、そして聞く時、その席は盛り上がります。日本人には、これが苦手です。また、"沈黙は金"でしょうか、会話に入れない人がいます。話の間に入り込める様に、訓練したら、交わりがが楽しくなることでしょう。

("tetotetote-sendai.jp"から)

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