悲しみを超えて

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 やはり、慣れ親しんだ日常から離れて、国外に出かけると言うのは、一大決心だったのを思い出します。生まれてから小学校の一年生まで7年間おり、1972年、長男が生まれて2か月で、家族3人で、宣教師のお供で34年間、都合42年過ごした街を、2006年の8月に離れたのです。

 もう子どもたちは、四人とも自立し、空の巣の中からの次の人生の再スタートを決心したのです。もう少し早く出かけたかったのですが、引き留めるものがあったのでしょうか、でもタイミングとしては一番よかったのだと、今も思い返しております。

 新しい働きへの宣教師からの挑戦、友人の牧会する教会の出身で日本語教師をされていた姉妹の促し、旧約聖書のエレミヤ書の『わたしがあなたがたを引いて行ったその町の平安(繁栄)を求め、そのために主に祈れ。そこの平安(繁栄)は、あなたがたの平安(繁栄)になるのだから。」(297節)』に、押し出されて、出かけたのです。

 安定した生活から出ていくと言うのは、さほどに戦いがあったわけではありませんでした。ただ理解してもらえないことがありましたが、それも時間と共に理解は得られるとは思っていました。だって、主が導いてくださったことだったからです。

 持参したのは、本や着る物などでした。その着る物に、飼い猫の毛が付いていたのです。三毛猫と黒毛の猫二匹を、次女夫婦が、長野県で飼っていました。英語教師を3年間している間に、道端に捨てられていた猫を、見過ごせなかった婿殿が拾って来て飼っていたのです。かれらが帰国しなければならなくなって、飼い主に選ばれた私たちが、引き取って飼い続けたのです。

 猫の貰い先を探し見当たらなく、渡航の日が迫っていて、最後の手段で、市の愛護施設に運んだのです。家内には耐えられないだろうと、彼女の留守の間に、そっと運んだのです。黒猫のタッカーは、どこに連れられて行くかが分かったのでしょうか、悲痛な鳴き声を上げていたのです。でも後戻りはできず、涙を飲んで、そうしたのです。

 やはり、この犠牲が一番大きかったのでしょう。可愛かったのです。猫嫌いの自分が、飼うほどに懐いてくるタッカーとスティービーに情が移っていくのです。家の前に車を駐車すると、二匹が玄関にお出迎えしてくれるほどでした。

 このことを思い出したのは、長女が飼っていた犬が、交通事故に遭って、亡くなってしまったとのニュースを聞いたからです。生まれてすぐに、長女の家にやって来て、しっかりと懐いていたのに、突然の死だったのです。『泣かせて!』と家内に連絡してきて、大声で、娘が泣いていました。様々な死別があって、生の厳粛さを覚えさせられる私たちです。悲しみを早く超えられますように!

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