[街]浜北市(浜松市浜北区)

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 遠江浜北、今では、浜松市に合併されていますが、結婚した頃から、何年か続けて正月を、そこで過ごした思い出の地なのです。回り道でしょうか、逃げていたのでしょうか、《捕まえられた》のです。それが一番的確に、そのことを表していると思われます。首根っこを摘み上げられて、この世から、「神の国」に移された経験、イエスが「キリスト」であることを、分からされた日から、教会の日曜ごとの礼拝や季節ごとの聖会に、忠実に集い始めたのです。

 それまでは、信仰告白をし、バプテスマを受けたのですが、back slide していた時期に、九州の久留米に、上の兄を訪ねた日から、まるで cage の中に、ニワトリが〈追い込まれる〉かのように、私は追い込まれた素敵な世界でした。私の日常が変わっていき、悪い生活習慣から離れさせていただき、嘘のように変えられて生き始めた epoch  (基点)、さらに通過点の街なのです。

 JR浜松駅から、遠州鉄道で、西鹿島駅で降りた辺りが、浜北でした。東名自動車道のバス停で下車して、行ったこともありました。その近くに結婚式場があって、そこを会場に開かれた「聖会」に出掛けたのです。元旦に母教会で礼拝があって、新しい年を始め、その流れで、宣教師仲間の諸教会が、九州、愛知、東京、地元の静岡から、やってきて、そこで三泊四日ほどの会期で行われた「聖会」でした。

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 あの遠州の正月の空の青さ、空気のにおい、宣教師夫人の声掛けで、女性陣が食事を作ってくださって、会場や脇部屋や廊下の床に、シートやゴザを敷き、貸布団で寝ながらでした。宣教師のみなさんの友人や、母教会からの牧師や兄弟たち日本人の牧師や伝道者たちが、聖書からお話をしてくれたのです。みんな若かった!

 休み時間には、芝生の上でバレーボールをしたり、近所を探検、散歩をしたのです。街の様子は、ほとんど知りませんでした。その会場の結婚式場が閉鎖されてから、訪ねることはありませんが、ああ言った交わりに、圧倒され、祝された街でした。思い出の中に色濃く、強烈の残っております。福岡県の久留米市、そしてこの浜北市は、記念的に、特別に記憶されているのです。

 あの聖会を主催してくださった宣教師さんは帰天され、切り盛りしてくださった奥さまは、今年100歳になられ、アメリカのお子さんの家で、今も創建で過ごしていらっしゃいます。

(「青い空」、お土産に買った「うなぎパイ」です)

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