生きよ

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 『初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、 --このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。--(1ヨハネ112節)』

 与えれられたいのちを、自らの〈唯ぼんやりした不安〉の中で、自死の道を選んでしまった芥川龍之介の《生きようとする思い》を、追いやってしまった、35歳の自死を知って驚いたのです。明晰な頭脳を持っていたのに、太宰治の38歳の心中にしろ、川端康成の老いてからの72歳での自殺、〈言葉〉を駆使して文学活動をした人たちの自死について、これまで、私は大いに考えさせられてきました。

 〈言葉〉の森の中で、生きようとする言葉、生かしてくれる言葉を見出さないで、森の迷路にはまり込んでしまったに違いありません。芥川の死の床には、聖書が置かれてあったそうです。そこには、「西方の人」と題をつけて、芥川が、昭和2710日に書いた主人公、イエスさまが取り上げられているのです。彼も熟読しての〈イエス観〉が述べられていたのです。

 書き足りなかったのでしょうか、「続西方の人」を、前編の2週間後の723日に記し、それが、「遺稿」となっています。それは芥川の死の直前の作品です。中学や高校で学んだ教科書の中に、「トロッコ」、「羅生門」、「蜘蛛の糸」、「杜子春」など、芥川の作品が取り上げられていて、興味深く学んだ記憶があります。ただ一つ疑問だったのは、自死するような人の作品を、国語教科書に載せることでした。

 これからを生きて行くために学ぶ必要のある子どもたちに、生き抜かないで果てて、自己放棄し、責任放棄をした人の作品が、どんなに文学的には高い価値があったとしても、相応しくないのではないかと言う思いでした。

 文才などない私は、聖書を読んで、聖書を読んできた母の生き方からかも知れませんが、そのイエスさまが、「キリスト(救い主)」であることを、紆余曲折を経て、やっと信じた、いえ信じさせていただいたのです。そして聞いてきたこと、読んできたこと、解説されてきた聖書が、自分を生かす《ことば》となったと言うべきでしょうか。

 芥川は、ショペンハウエルの厭世観に強く影響されていたそうです。この神の子でいらっしゃる方の語られた《ことば》に、芥川が触れなかったことになります。文学的な関心は向けても、「わたしを求めて生きよ(アモス54節)」と言われた「救い主」と出会えなかった、ぼんやりとしたままで終わってしまった悲劇だったと言えるでしょうか。

 人は、明確な《はっきりした平安》の中に、生きて行くことができるのです。いのちを付与された神さまは、生きとし生ける者の全てに、「生きよ」とおっしゃっています。

(“キリスト教クリップアート”からです)

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