石川啄木が、明治43(1910)年7月26日に詠んだと言われる短歌に、「一握の砂」があります。
はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
生活苦など、まったく経験したことのない私でも、これまで働いてきた日々を思い返して、さまざまなことに、この「手」を使ってきたのを思い出しているのです。私は右利きですから、利き腕の「右手」なのです。
子どもの頃に、父の机の引き出しにあった driver を手にして、手当たり次第に、機械のネジを回して解体してしまいました。どうなってるのかが知りたかったからです。その父の机の上にあった打電機を打って、海の向こうの国のことを考えていました。そんな科学する子を、父は叱りませんでした。
学校に行って、教科書やノートの頁をめくり、ノートや作文用紙や試験用紙に字を書いたり、絵を描いたり、黒板に chalk で、答を書いたことも、雑巾で床を拭いたこともあります。同じ手で、いたずらしたり、人を叩いたりしていたのです。
中学受験で、受験申込用紙に必要事項を書き込んだでしょうか。中学でbasketball 部、高校で handball 部に入って、ボールを投げたり、体育館の床に mop を掛けたり、ground 整備をしました。
入院した母を見舞って、体を吹いたり、家で、食事の用意で、米を研いだり、調理をしました。父ばかりにさせられないので、洗濯もし、綻びを直そうと縫い物で針も持ちました。買い物も掃除もしました。
Arbeit(アルバイト)で、機械を動かし、ノコをひいたり、金槌で釘を叩いたり、糊をつけたり、紙を貼ったり、野菜や果物の入った箱を運んだり、野菜を切り刻んだり、case に陳列したり、後片付けをしました。
車や自転車の handle を握っての運転、結婚してから、家内の手伝い出産入院の不在時に、おしめ洗い、洗濯物干し、食事の用意、自転車や車での送り迎え、病気で入院している方の訪問で運転、家内の手を引いて海を渡り、中国のみなさんと握手をし、子どもの頭をなで、ticket を手に握って、電車やバスや飛行機に乗りました。
今、この手を使いながら、家事をこなし、自転車の handle を握り、あちらこちらと出かけているのです。これから、市役所に用で出かけ、散歩をします。その前に、椅子に座りながら、じっと手を見る朝の私です。
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