木を植えた男〜3〜

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 「わたし」は、村沿いに降りていくと、以前は、干上がっていたのに、小川はせせらぎの流れになっていたのです。とすること、ビフィエ氏の賜物に違いありません。この廃村だった村は、古代ローマ機の遺跡の上にあって、考古学者がそれを発掘したこともあったほどです。ところが二十世紀になると、村人は雨水を利用する以外になくなるほど、川は渇れていたからです。

 そんな村に、あの羊飼いが蒔いた種で育った木から、地に種が落ちて、水が流れるようになると、柳が目を出し、やがて牧場や菜園や花畑がつぎつぎに生まれてきて、村が生き返ってきたのです。山に動物狩りに来るものたちは、自然の気まぐれで生き返ったと思うだけで、なんの感動もなかったのです。一人の寡黙な男のなせる業だとは、知る由もなかったわけです。まさに見事な作品でした。

 1920年以来、「わたし」は、一年とおかずに、迷ったり、疑ったりすることもなく過ごすエルゼアール・ブフィエ氏を訪ねました。でも大成功の影には、逆境に打ち勝つ苦労があり、勝利するために絶望と戦ってきた結果だったのがわかりました。

 ある年、ビフィエ氏は、カエデの木を一万本植えたのです。ところが苗が全滅し、彼は絶望したのですが、翌年ブナの木を植えたのが成功して、カシワの木よりも上手く育ったのです。その不屈の精神力は、あの言葉を失うほどの孤独の中で鍛えられた、不屈の精神によったものだということを、「わたし」は忘れてはならないと思うのです。

 1933年になると、一人の森林監視員が、彼を訪ねてきました。『自然の森を守るために、外で決して火を焚かないように!』、この素朴で何も知らない人は、森が一人で成長するのを見て驚いたからです。当時、75才にもなっていたビフィエ師は、家から12キロも離れたところにブナの木を植えようとしていました。それで行き来の労をはぶこうと、石造の小屋を建てようとしていたのです。一年後に小屋は完成します。

 1935年に、今度は政府の派遣団が、自然林の視察にやってきました。代議士や林野局の役人や営林技師が自然林に視察にやってきたのです。あれやこれやと森林対策のことを言いましたが、ただ一つ益だったのは、この森林が保護区にされたことだったのです。炭焼きのための森林伐採が禁じられました。美しく茂った木々の美しさは、訪れる人々を魅了したのです。

 「わたし」の友人に森林管理の役人がいて、派遣団にも加わっていました。「わたし」は、一人の男の奇跡的行為を説明したのです。1週間ほどした時、視察場所から20キロも離れたところにいた彼を訪ねると、仕事の最中でした。友人はもののよく分かった男で、ことの事実を理解し、ただ黙って見守るだけでした。お土産に持って行った卵を彼にあげ、パンを仲良く三人で分け合い、素晴らしい眺めの中で、黙想の時を過ごしたのです。

 友人と二人で歩く道には、6〜7メートルの高さの木々で覆われていたのですが、1913年に来た頃には荒地だったのです。《平和な規則正しい労働》、《高原の澄みきった空気》、《魂の清浄さ》、それらが、この老人に目に眩しいほどの頑健さを与えていたのです。まるで、「神につかわされた闘技者」でした。老人と別れる前に友人は、この地にどんな木が適するかを簡単に説明しました。ところが、しばらく歩くと友人は、「どうやら、あの老人のほうが、ぼくよりよっぽどくわしいようだ」ともらしました。

 しばらく一緒に歩くと、その友人の思いは、ますます強くなっていきます。すると彼は、驚嘆の声をあげます。「彼は世界中のだれよりも、木のことを知り尽くしているようだ。どうすれば最良の結果が得られるか、ちゃんとした秘訣を見つけたらしい!」、ともらします。この友人の働きで、森の安全だけではなく、老人の幸せまでが保証されたのです。森の管理人を三人も任命し、材木の伐採人たちがこっそり渡すワイロには、目もくれないのように、きびしくいいわたしました。(つづく)