家へ帰ろう

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 貨車の車掌室、丘の上の雑木林の枯れ草の中、これが家出をした、いえ父に追い出された、子どもの頃の叱られた私の寝場所でした。お勝手口の上りがまちで、鍋のご飯に味噌を乗せてかっ込んで、また寝場所に戻る、そんな時がありました。畳の上に母が敷いてくれた布団の中で寝れない、沸いた風呂に入れない惨めな小学生の私でした。

 普通は、夕方には、父が帰宅し、母の用意してくれた夕食を、両親と兄二人と弟とで囲んで、ああでもないこうでもないと話しながらやかましく食べた日々が、キュンとした懐かしさで思い出されます。そんな団欒が、銃火によって突然破られ、家族が殺され、一人だけ生き残る、そんな時代がありました。

 昨晩、” prime video “ で、アルゼンチンとスペインの共同制作映画、「家へ帰ろう/ El último traje 」を観たのです。観た後、『家ってなんだろう?』としばらく考えていました。味噌汁やご飯に湯気とにおいが立ち上って、帰宅した父と、それを迎える母、それに同じ血を受け継ぐ兄弟たちが、1日を終えて、空きっ腹を満たす夕餉(ゆうげ)の仄かな温かさが溢れた世界なのでしょうか。

 ほんの短い間、共に過ごし、やがてそれぞれが独立して、自分の家族を持って出て行く、家族の展開劇が繰り広げられて行き、また孫たちが独立していく、繰り返されていく人の営みが、戦争や一人の男の野心によって打ち破られてしまう不条理さも、その一部なのでしょうか。今は、家内が留守をする家に、散歩や買い物から帰って来るところが、「うち(家)」なのです。

 この映画の主人公には、ユダヤ人の両親の家庭があり、実に和やかな生活がなされた家があったのですが、ドイツ軍の侵攻によって、平和が打ち破られ、愛する家族が殺され、収容所に送られ、九死に一生を得て、その収容所送りの途中に逃れて、住んでいた家に、殴打されたのでしょう、傷付きながらもやっとたどり着くのが、若き日のアブラハムです。

 そこには家族はもういませんし、団欒もなく、ただ使用人家族が住む家になっていました。瀕死のアブラハムを家に入れようとしません。ところが、熱い友情で結ばれていた使用人の同世代の息子が、篤く世話をするのです。17歳のアブラハムの戦争体験、ユダヤ人排斥体験です。

 画面は暗転し、そのアブラハムが、88歳で、アルゼンチンで、洋服の仕立て屋をやって、自分の家族をもうけています。何人もの孫や娘たちに囲まれている、賑やかで、幸せな家があります。娘たちは、父アブラハムの長年の仕事をやめさせて、養老院に入らせ、痛めている足の治療をさせようとしているのです。
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 ところが彼には、秘めた積年の計画があるのです。生まれ故郷のポーランドのワルシャワ、その首都の近くのウッチに帰る悲願があるのです。というか、その故郷に住むであろう、瀕死の自分の世話を必死にしてくれた親友に会うためでした。家族には内緒で、マドリッド行きの飛行券とワルシャワまでの鉄道乗車券も手配するのです。

 そのアブラハムの帰郷の旅に、出会う何人かの人との面白おかしく、また thrilling さも交えて、心温まるやり取りが描かれます。おぞましい経験をした彼の旅も、そう描くことで、かえってHolocaust の体験の酷さを際立てようとしてるかに思えます。マドリッド行きの飛行機に同乗の青年、ホテルの女主人、人類学者のドイツ人婦人、入院先の看護婦などとの人間模様が面白いのです。

 頑固さ、故郷回帰の思い、戦時下の体験の flashback 、孫や娘や出会う人へのhumor などが、主人公のアブラハムの人間を描き出していてとても良いのです。マドリッドのホテルで持ち金を盗まれても途方に暮れないのです。喧嘩別れして、そのマドリッドにいる娘と再会し、お金をもらって旅を続けるのです。

  看護師の助けで、70年ぶりに故郷のウッチに到着し、70年前と同じたたずまいの街を、看護師の押してくれる車椅子に乗ってたどります。街は変わっていません。露地の上の車椅子から、窓越しに眺めると、ミシンを使う男が見えます。見続けていると、その人も見続けています。しばらく後に互いを認め合い、その男もアブラハムも、互いが分かるのです。外に出てきたその人こそ、70年ぶりに再会する友でした。互いにしっかり抱擁し合うのです。

 かつての自分の家と家族、移民しブエノスアイレスで持った家と家族、その家族を置いて、祖国に戻るアブラハム、友との再会こそが、彼の「彼べき家(うち)」だったのでしょう。親友こそが、アブラハムにとっての「家」だったに違いありません。

(ウッチ・ゲットー、映画の一場面の写真です)

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