伴走者

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今年は、オリンピック、パラリンピックが、東京で開催されます。陸上競技のマラソンは、《オリンピックの華》と呼ばれる競技で、前回、1964年の東京オリンピックでは、円谷幸吉選手が健闘しています。

またパラリンピックにも、マラソン競技があります。その競技者には、「伴走者」がついて走ることができます。この伴奏者については、次の様に解説されています。

『良い伴走者とは障がい者ランナーが安心して走れる伴走者です。では目が見えない障がい者ランナーが安心して走れるとはどういうことでしょうか。
まず最も大切なことは視覚に障がいがあるランナーが安心して走れるように安全を確保し、周りで何が起きているか状況を説明することです。またランナーが走りやすいようにフォームや走路、ペースに気を配りましょう。最後は目標を持って走れるようタイムなどを管理することが大切となります。そのほか障がいの程度や現地までの移動手段、コースや周囲の状況などで必要なことが違ってきます。
視覚障がい者の方にしかわからないこと、感じられないことも多くあります。また一人ひとり不安なことや知りたいことも異なります。ここに挙げたことはほんの一例だと思って、相手が何をしてもらいたいかをよく話し合って下さい。(JBMA/日本ブラインドマラソン協会)』とです。

この「伴走者」に似てる役割やことばに、「伴侶」があります。「人生の伴侶」、一緒に生きていく夫や妻のことを言っています。「伴侶」は、双方ともが人生の道を走る競技者なのです。それは競争相手ではなく、ともにゴールを目指して、助け合いながらいく仲間です。

私にとっての一番のモデルは、父の伴侶、私たち四人兄弟の母です。また母にとっての、私たちの父です。私には、賞状を差し上げたいほどの両親でした。地方の名門に生まれながらも、名門なるがゆえの仕打ちを受けて育った父と、婚外で結ばれた両親の望まれない子として生まれ、養女として育てられた母でしたが、『良くやった!』と、両親を褒めたいのです。

それぞれに逆境や危機があったのですが、それを超えて、親業を全うしてくれたからです。自由で、したいことをさせてくれ、曲がったことをすると矯正して、叱ってくれたのです。ちょっと方法はきつかったのですが、それもまた益でした。何よりも、教育を受けさせてくれたことは感謝に尽きません。

育ち盛りで、乱暴な男の子に、三度の食事を、工夫を重ねて作って食べさせてくれ、綺麗に洗濯した服を着せ、暖かな布団に休ませてくれたのです。決して手を抜きませんでした。まさに《傍(かたわら)を共に》伴走、併走してくれて、社会人として生きる様に備えてくれたのです。

中学校3年間、担任をしてくださった恩師が、長男を連れて母校訪問した時に、『お母様と同じ道を歩んでいるのですね!』と言ってくれたことがありました。恩師には、母の歩む道が分かっていたのでしょう。そんな母を誇りに思ったのです。

マラソンの伴走者は、途中で交代できるのだそうです。結婚も、育ての親から配偶者への《伴走者交代》なのかも知れません。

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