三度の飯

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Vintage engraving of Japanese art, Yedo by night, 19th Century. Edo, also romanized as Jedo, Yedo or Yeddo, is the former name of Tokyo. It was the seat of power for the Tokugawa shogunate, which ruled Japan from 1603 to 1868.

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江戸時代の中期の「狂歌」に、花道つらね作の、次の歌があります。

たのしみは春の櫻に秋の月夫婦中よく三度くふめし

楽しくさせてくれるものの内に、「夫婦中良く三度くふめし」があるというのは、実に私の実感でもあります。空の巣になってから、そんな日を重ねてきているからです。子どもや友人が来て、一緒に食事をすると、決まって、『みんなで食べると美味しいね!』と家内が言うのです。それで、『みんなで食べるのも美味しいね!」と、言い直してもらうのです。二人で食べるのだって、美味しいからです。

そんな家内が、〈小旅行〉、いえ家出したこともあったのです。もう三度、私と一緒に食べられない心境になったからでしょうか、プイと、無断で出て行ってしまったのです。母の小旅行に付き合った経験が、小学生の頃にありましたので、『ブルータス、お前もか!』で、意に介さなかった、いえ、ほんとうは慌てふためいてしまったのです。

春や夏に、何度も行った「清里」が、家内と上の息子と長女、そしてお腹の中の胎児の行先でした。母が、義母に諭された様に、やっと泊めてくれた民宿のご夫婦に諭されて、帰ってきました。あれから、四十数年経ちますが、家内は、そんあ小旅行に何度か行きたかったこともあったのでしょうが、繰り返さないで、我慢をしてきての今です。

田沼意次の時代、人気歌舞伎役者の五代目市川團十郎(花道つらね)夫妻だって、紆余曲折、二人の間に、漣(さだなみ)や中波が揺れ動いたことだってあったに違いありません。それを越えての狂歌なのでしょう。養子の身の上で、そんなに幸せな幼少期を生きた人ではなかったそうですが、それだから、花道は、家庭とか夫婦のあり方を大事にした人だったのかも知れません。

〈三度の飯〉って、作るのは、随分と面倒なものなのだと言うのが、この一年あまり身にしみています。家内が入院中は、見舞いを終えて夕暮れ時、電車を下車して、時々スーパーで見かけた、単身赴任のおじさんと同じで、弁当の値引きの残りを買って、簡単に味噌汁を作ったり、インスタントですませたのです。

自分が炊事当番になって、母も家内も、黙々とよくやってくれたものだと感謝が湧くのです。犬が倒れたみたいに、ワンパターンの献立で、煮魚、おひたし、漬物、しじみの味噌汁の連続です。これでは食傷気味になるでしょうね。“ クックバッド ” は、敷居が高くて、真似できません。さあ、今晩は、鮭と茹でアスパラとキムチと大根の漬物かな。

(江戸の街の光景です)

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