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「物を言う」時、どう言うかによって、随分と、聞く人の応答が違ったものになります。とくに若者の行動や言動を注意する時に、どう言うかによっては、攻撃的に反逆してきたり、あるいは素直に受け入れるかで違うのです。
私は、言葉で失敗したことが多くありました。言ってはいけないことを言ってしまったり、言い方が正しくなくて、相手を怒らせたり、落胆させたりしてしまったのです。それは私だけではなく、多くの人が失敗している様です。ガリラヤ湖の漁師だった方が、こんなことを言い残しています。
『私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。』とです。この方の経験か、周りの人を観察しての経験でしょうか。ことばは、燎原の火の様に、焼き尽くすものを飲み込んでしまいます。唇や舌の世界は、〈火の世界〉だと言うのです。
1953年(昭和28年)2月28日のこと、時の総理大臣、吉田茂が、衆議院予算委員会で、社会党の西村栄一と質疑応答の後、席に戻ろうとして、小声で『バカヤロウ!』と言ったことで、衆議院が解散してしまいます。その時の質応答の記録が残っています。
西村「総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという根拠は一体どこにお求めになりましたか」
吉田「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたのであります。(以下略)」
西村「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総理大臣の翻訳を承っておるのではない。(中略)イギリスの総理大臣の楽観論あるいは外国の総理大臣の楽観論ではなしに、(中略)日本の総理大臣に日本国民は問わんとしておるのであります。(中略)やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります」
吉田「只今の私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁致したのであります。私は確信するのであります」
西村「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃないか。
吉田(無礼なことを言うな!)
西村 何が無礼だ!
吉田(無礼じゃないか!)
西村 質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ! 答弁できないのか、君は……
吉田(ばかやろう……)
西村 何がバカヤローだ! バカヤローとは何事だ!! これを取り消さない限りは、私はお聞きしない。(中略)取り消しなさい。私はきょうは静かに言説を聞いている。何を私の言うことに興奮する必要がある」
吉田「……私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取り消します」
西村「年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取り消された上からは、私は追究しません。(以下略)」
この両者の確執は、以前からあった様ですが、小声の囁きが、大事を引き起こし、吉田茂の政治生命を終わらせてしまうのです。でも、西村議員の事後処理法を学ばねばなりませんね。
その〈ひと言〉を言ったばかりに、大喧嘩になることがよくあります。関東人の〈バカヤロウ〉と、関西人の〈アホ〉とは、意味が同じでも、言葉の重さが桁違いに違っていそうです。
ことば上の失敗の経験を見聞きし、経験して学んだことが、一つあります。それは、《事実》だけを言うことです。叱ったり、注意したり、否定したりせずに、その現実を、感情を交えずに言うことです。良し悪を判定しないことで、聞く人が、自分で決めさせるのです。そう私がし始めてから、人間関係は円滑になってきています。
(ガリラヤ湖畔に咲く花です)
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