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ここ栃木県には、「足尾」と言う村がありました(現在は日光市)。日光、中禅寺湖から、バス路線で行くことができますし、群馬県桐生から、「わたらせ渓谷鉄道」でも行けます。渡良瀬川の上流に位置し、江戸時代のピーク時には、1200トンもの銅を産出しています。明治期の富国強兵、殖産興業で、銅山開発が本格的に始まり、20世紀初頭には、日本の銅産出の40%をしめていました。まさに日本の近代化に寄与した鉱山だったのです。
しかし、過酷な労働が、鉱夫たちに強いられました。さらには精錬のための鉱毒が流れ出て、渡良瀬川の流域の農地を汚し、洪水も引き起こし、多くの人々を死なせ、苦しめたのです。いわゆる〈足尾鉱毒事件〉が引き起こされます。それは産業公害の日本のはしりだったのです。
そんな状況下で歌われた、長岡鶴蔵の作詞、啞蟬坊の作曲の「足尾銅山ラッパ節」があります。どんな過酷な労働がなされていたかが、歌われています。
欲という字に眼が潰れ 人たる道を踏み躙(にじ)り
平民の歎(なげき)の叫び声 知らぬふりする穀潰し(ごくつぶし)
古川さん(※創業者)かご主人か イエイエあいつは違います
弱き我らを踏み倒す 義理も情けも知らぬ鬼
足腰立つうちゃこき使い 病気や怪我をした時にゃ
南京米が二升五合 ご主人呼ばわりしゃらくせー
哀れ撰工(鉱)の女工さん 朝は早くて晩は五時
長い時間を働いて 貰(もろ)おたお金銭(あし)は十二銭
足は冷し腰は冷え 腰は縮むし皮は剥げ
爪はなくなり肉は出て 撰鉱女はつらいもの
役人さんや監督は 手足あっため腰をかけ
寒さや痛さは知らぬとも 少しは女工を思いやれ
腹が立たぬか鉱夫さん 年が年中働いて
春や正月きたとても いつも変わらぬボロ着物
人夫引等にだまされて 来てみりゃビックリ下飯場
荷物みなあずけられ 飛ぶに飛ばれぬ籠の鳥
籠の鳥なる食物(くいもの)を よくよく吟味するけれど
我等堀子(ほりこ)の食物は 塩の混ぜたる空けつ
毒と知りつつ精錬で 臭き煙に責められて
死ぬほど稼いで三十二銭 之がほんとの生き地獄
上席良き顔せんために 我々共をコキ使い
飯食う時間もやかましく 今に見ておれ此の犬め
好きでダルマ(淫売)をするでない 嫁に行かれず飯食えず
と云うて仕事もない故に 涙こぼしてこの苦労
ダルマすれども心まで まさかダルマになりません
思う殿御(とのご)があるなれば 必ず操(みさお)を守ります
我々この歌うたうのは 面白おかしでするでない
心のそこの血の涙 割って見せたい腹の中(うち)
この歌は、youtubeで聞くことができます。栃木県佐野出身の国会議員の田中正造は、反対運動を指導しています。悲惨な出来事が、日本の近代化の歴史の中に、多く隠されているのです。
(足尾銅山の鉱夫のみなさんの古写真です)
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