洋上交流

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これまで、一月末の今頃、華南の街から帰国をしていたのです。最初は、二年に一度のビザの更新のための帰国でしたが、その後は毎年帰国していました。学校の前期の授業を終え、期末試験を終え、採点、成績表の提出を終えての帰国でした。一人で帰る時に、夜行バスや動車(中国版新幹線)で上海に行き、外灘(waitan)の波止場から、大阪行きの船を利用したことが何度もあります。

丸二日の洋上の生活は、同じ様に教師をしておいでの年配者、旅の途中の欧米人の若者、留学生、日本で働くために出かける若者たちが、同船しておいででした。冬場の船は、波に揉まれて、結構きつかったこともありました。私が乗った船には、お風呂があって、目の前に波頭が見えて、船の中なのだと納得したりでした。

その中に、武漢で教師をしていた方もおいででした。教材や資料が欲しいと言われて、送って差し上げたこともあったのです。中国が好きで、日中交流の名目で、南京に住んでいて、3ヶ月ごとに、大阪のお住まいとを往復されていた方もいて、メールの交信を続けていた方もいました。

大阪の空襲で、家族を亡くして、猛火の中を逃げ回って、生き延びたと言っておられる方もいました。飛行機だと、隣の方と、これほど話を交わす余裕はないのですが、二日という時間を、楽しく過ごせたのです。西安大学に留学していた青年に、何か相談されたこともありました。

ああ言うのを〈洋上交流〉と言うのでしょうか。内陸の街の学校を出て、日本語を学んで、これから日本で働こうとしていた、中国内陸部の街からの5人の若い女性の一団もいました。いろいろ質問してきたので、答えてあげました。『辛いことがあっても、忍耐してね!』と言って大阪港で別れたのです。

その乗船した船の「メンバーカード」が、カード入れに2冊残っていて、〈復路半額〉になるのです。まだ利用していないので、いつか使ってみたいと思っているところです。上海の近くの海の上にはカモメが飛び、それが見えなくなると、飛魚が船の進む方向に飛んでいたりしていました。水平線上に昇り降りする太陽を見て、感動した時もあったでしょうか。

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