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東京都下、多摩地区で育った私は、「べえべえ言葉」の影響を受けて、『行くべえ!』とか『すんべえ!』とかが混ざった標準語を、小学生の頃に話していました。神奈川県の東京寄り、武蔵野、埼玉、群馬県、そして今住んでいる栃木も、言葉尻に、『・・・べえ!』を加えて言うのです。〈関東方言〉で、方言を研究されている方は、古語や和語の名残だと言っています。
私の母の故郷の出雲には、『だんだん!』と言う言葉があります。漢字で、「段々」と書くのだそうで、『ありがとう!』を、そう言うのだそうです。「いろいろ」と言う意味で、『だんだんありがとう!』の前の部分が残って、後ろの部分が省略されて、『だんだん!』と言う様に変化したと言います。
父がからかっていただけで、母の口から、出雲弁を聞いたことは一度もありませんでした。心の中では、そうつぶやいていたのかも知れませんが、けっこう緊張して、「ふるさとことば」を隠しながら生きていたのかも知れません。95歳で亡くなった母は、歳を重ねても、「出雲弁」を話さなかった様です。
母のふるさとの隣の岡山県には、『はよーしねー!』があるそうです。決して、『早よー死ねー!』と言ってるのではなく、『早くしなさい!』の意味なのです。言葉、とくに方言は誤解されることがある様です。
誤解といえば、今回の玄関の水漏れの一件で、大家さんに電話をした時に、私の誤解、いえ早とちりがあったのです。大家さんが電話口に出られた時、呂律(ろれつ)が回らないお話をされていたのです。『朝からお酒を飲んでいらっしゃるのだ!』と思っていました。生活習慣ですから、よしわるしの問題ではないわけですが。
それで、今週になって、水漏れの現場を見ていただきたくて、大家さんに電話をしたのです。夕方、奥様とお二人でみえられ、玄関の様子を見ていただいたのです。その時、大家さんは、お体が不自由で、後遺症が、歩き方や手の動き、言葉に残っておられたのです。そう、お酒に酔っているのではないことが分かって、声を聞いただけで判断してしまった私は、申し訳なく思った次第です。
チャーチルという大英帝国の首相をされた方は、フランス語も、ドイツ語も堪能だったそうです。それでも、外国の要人と、公務で話をする時には、必ず通訳者を通して話を聞き、話をされたそうです。言葉の「誤解」を避けるためでした。面と向かってお会いするまで、早っとちりしないように、学んだ一月でした。
(武蔵野の「くぬぎ林」です)
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