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あの頃は 俺がお前の 盾だった

この川柳には、『でも今は お前が俺の 盾になり』とつながるのでしょうか。あんなに丈夫だった家内が、闘病している今、家内が、一番気にしているのが、私のクシャミと咳なのです。コロナウイルスではないのですが、風邪で倒れて欲しくないからです。それだけ、再び「盾」にと、頼り甲斐にされて、家内の世話をさせてもらってるからです。

来年の4月は、私たちの“ golden year ” なのです。結婚以来、掃除、洗濯、ご飯作りの家事、妻業をしてもらい、後半の13年間は、私の念願、恩師の勧めの〈中国行き〉にも付き合ってくれた年月でした。働いて糧を得、社会的な責務を果たしてきた私を、影になって支えてくれたのが家内でした。

昨日は、昨年の正月以来かかっています、獨協医科大学病院に、「PET検査」に参りました。転移の有無の検査です。一年経ちましたので、『そろそろ2度目の検査しましょうか!』と主治医に、そう促されましたので、朝、タクシーを呼ぼうとしていたのです。そこにメールが入ってきたのです。『病院まで送ります!』と言って、ご夫婦で、県南の町から30分も車を運転してきてくださったのです。

それは、昨年の台風に被災して、ボランティアで来てくださって、助けてくださった夫妻でした。奥様は、私たちが過ごした華南の街の隣の省の出身で、日本に留学し、日本人の男性と結婚されています。初めは、両毛線、宇都宮線、路線バスで行くか、タクシーにするか迷っていたところへの《助け舟》でした。

昨年は、多くの「盾」に支えられ、守られ、励まされた年でした。私は、洗濯や掃除をし、洗濯物を取り込み、買い物をし、食事を作り、茶碗を洗い、また市役所や郵便局にも行く日を過ごして、『何も仕事していないな!』と思っていました。そうしたら、『準、今していることがあなたの〈仕事〉だよ!』と言う声が聞こえてきたのです。それで、『そうか!』と、思いを強めたのです。

何もしていないのではなく、50年あまりしてくれた家内への《お返し》だけでもなく、彼女が《妻》だから、そうするのだと得心がいったのです。中国の華南の街で、歳を重ねた日本人の夫婦が、一緒に街を歩き、人を訪問し、倶楽部に出掛けたりする様子を、けっこう多くの人が見ていた様です。若い人たちが、羨ましそうに、それを見ていました。

新しい年の最初の月が行こうとしています。中国語で、『时间过了很快 shijianguolehenkuai/時間ってこんなに早く過ぎていくんだ!』と言うのですが、時間だけは誰にも公平に備えられているのですから、無駄にしないで刻一刻、日一日、年一年と、《生一生》を過ごしていくことにします。そう、盾同士だったら、矛盾は起こり得ませんから。

(湖北省武漢の市花の「梅」です)

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