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『狭い日本、そんなに急いでどこへ行く!』と言う、交通標語のことばを、以前、よく耳にしました。その狭い日本全土に、JRの新幹線網が広がり、飛行機利用以外で、東京から鉄道利用でも日帰り旅行ができる様になってきました。
それ以前は、「寝台列車」が列島を駆け巡っていたのです。その中で、「あさかぜ」は、東京と博多を結んだ、JRの特急寝台列車でした。旧国鉄時代に、数度私は利用したことがあります。学校を出てすぐの頃に、勤めていた教育研究所の「九州地区」の研修大会に、開催者側のお手伝いで、この寝台特急で出かけたのです。
そこに勤務していた頃、兄が、福岡県久留米市で仕事をしていた関係で、熊本に出張のついでに、博多まで「あさかぜ」に乗って、訪ねたこともありました。筑後川の舟運の街で、家内の母の実家がありました。あの「久留米絣(かすり)」の発祥地で、ブリジストンの石橋氏の誕生地でもありました。
九州全域を統治する「太宰府」に行ってみたくて、大分日田出身の知人に案内していただいて訪ねたことがあったのです。『7世紀後半から奈良・平安時代にかけて、九州を治め、外交・軍事・経済を担った役所が置かれた所である。平面復元された建物の礎石が往時を偲ばせる。「都府楼跡」の名でも親しまれ、史跡公園となっている。春には桜が楽しめる。』都観光案内にあります。京の朝廷から、政略で失墜させられた、菅原道真は、ここで没しています。
若い頃に、九州に度々、旅をした私は、聞くのに慣れた〈九州弁〉の言い回しが好きなのです。時々真似をして見るのですが、中部山岳の山猿の私は、九州男児の様に喋れないのです。それでしょうか、初めて乗った寝台特急の「あさかぜ」が、とても懐かしいのです。独特な国鉄、車両、寝台の匂いがしてきそうです。
食べたり飲んだりした駅弁、土瓶のお茶、凍ったみかん、列車食堂の朝食の味も、列車の旅にあったので、今も、その匂いと味がしてきそうです。旧国鉄の最初の〈ブルートレイン〉が、この「あさかぜ」で、1956年に運転が開始され、1994年に、飛行機に押されて、東京と博多間の運行が終了し、ほぼ半世紀後の2005年に営業を終えています。
私の沢山ある夢の一つは、アメリカ合衆国の大陸横断鉄道に乗ること、または、北京からヨーロッパまで、列車の旅もをしてみたいことなのです。〈駅弁〉も〈氷みかん〉なんかは、日本の文化ですから、なさそうです。でも中国国内には、車内販売で弁当が売られていました。《レトロrétro/懐古趣味》な私は、そんな過去と将来に思いが向いてしまいます。
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