いちご

 

 

壬生町から「男体山(なんたいさん)」を望んだ写真です。きっと、多くの若者が、この鎮座しているかの様な山を仰いで、『この山の様に大きくなろう!』と心に決めて、故郷を後にしたのでしょう。ここに嫁いで来た嫁は、『この山の様に、ここから動かないわ!』と念じたことでしょう。

私の生まれふるさとにも、そんな山があり、川が流れ、木が生い、花が咲き、果実が実っていました。友人で、この住まわせてもらっている家のご主人が、『栃木県はいちご生産量がある日本一なんです!』と、昨日メールで知らせ、早朝の玄関のたたきの上に、そのイチゴをひとパックを置いてくれました。入院中の家内に届けるようにと言ってです。また、帰宅後、私の夕食にと「トロトロ豚肉」を調理した小鉢を、玄関の外のたたきの上に置いてくれたのです。

大陸で愛を受け、ここ祖国でも愛を受け、『ああ幸せ者よ!』と感謝しています。この方は、暮れにでしょうか、おせち料理を作られて、黒豆、数の子、ニシンの昆布巻きを、大陸からやってくる私たちのために、残しておいて、届けてくれました。まさに、正宗の《日本の味》なのです。手製パンケーキも美味しいりんごもありました。

彼は、ある学校で学びつつ、寮生の食事の賄いをしておられたことがあって、抜群に味が良いのです。奥様も料理上手なのですが、昔取った杵柄(きねづか)で、本業に勝るとも劣らない腕です。

ああ、祖国も、友も、家族も、実に好いものです。これに匹敵するする様な、大陸の街の若き友人たちの、とろけてしまいそうな愛心を想っています。炬燵に入りながら、炬燵の上には、「みかん」がのっています。私たちを迎えるために、そうしておいてくださいました。

.

逆転

 

 

東広島市の賀茂台地に咲く「オオイヌフグリ」です。そこは広島県のほぼ中央に位置し、周囲を標高400~700m前後の山々に囲まれた台地でそうです「HP/里谷を歩こう」。《早春の花》が、2019年を飾っているようです。

私たちにとりましては、この新年は、元旦に家内が入院して始まりました。七日間、私たちに住む華南の病院で過ごし、退院の翌日に帰国し、その翌々日に、北関東にある獨協医科大学に入院したところです。まず検査をしようとしております。結果が出次第、治療が行われる模様です。

あんなに元気で、子育て中に、病気ひとつしなかったのに、歳を重ねた今、病んだのですが、気持ちは落ち着いているようです。人っ子一人いない病院の祝日の待合室のベンチで、次男が家内を励ましていました。立場逆転です。

そこには、早春の陽が射しこんで、体も心も温められた様です。低い音で、ギターを奏で、一緒に歌ったのは、ずいぶん久しぶりのことでした。心が高揚され、強められ、開放されたかのようでした。子どもたち代表の次男訪問の成人の日でした。

 

 

 

関東平野の北の山岳部に、手が届きそうな辺りに、獨協医科大学はあります。今5時が過ぎ、夕闇の帳が降り、山の上に雲がかかり、冬の空は寒そうです。

家内の見舞いを終えて、東武宇都宮線の「おもちゃのまち駅」のホームにいます。宇都宮駅からの電車が来て、乗り込んだところです。単線の各駅停車です。新栃木駅で東武日光線に乗り換え、栃木駅にいきます。

今日は、次男が、ギター持参で見舞ってくれました。彼はブラバン出身で、ドラムスやギターやピアノ、多くの楽器をこなすのです。彼が弾き、三人で歌ったのです。おさないひに、よく歌った歌でした。

家内は、いっぺんに元気になってしまいました。時間確認のため置き時計が欲しい家内のための、それを持参してくれました。一緒に〈伊右衛門〉を飲んで美味しそうでした。

4人の子育てを、よくやりました。次々に自立独立していく子どもたちを送り出し、それ以来、空の巣で、『今頃、どうしてるかしら?』と、母親の彼女は自分のことはさておき、病床でも想うものなのですね。

中国の華南の街に、家内の入院生活を、心情的に、経済的に支えてくださる友人たちの一団があります。想像を絶するほどの額です。かつて、この国を軍靴で踏み荒らし、多くの物を搾取した者たちに末裔(まつえい)に、《一家人yijiaren/家族の一員》と言って愛をお示しくださるのです。感謝が尽きません。

.