この季節になると、歌いたくなる歌があります。作詞が斎藤信夫、作曲が海沼実で、川田正子が歌った、「里の秋」です。1945年の暮れに発表されています。
1 静かな静かな里の秋
お背戸(せど)に木の実の落ちる夜は
ああ母さんとただ二人
栗の実煮てます いろりばた
2 明るい明るい星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の渡る夜はっq
ああ父さんのあの笑顔
栗の実食べては思い出す
3 さよならさよなら椰子(やし)の島
お舟にゆられて帰られる
ああ父さんよ 御無事でと
今夜も母さんと祈ります
この歌詞の中の「お背戸」は、OKwaveによりますと、「家の裏口(または裏手)を意味します。」とあります。今では、「囲炉裏」があるのは、茅葺のレストランで、郷土食を提供する店くらいにしかないのでしょうね。いつでしたか、山奥の家を訪ねた時に、老夫婦が、この囲炉裏に案内してくれたことがありました。夏でしたから、炭も薪(まき)も燃えていませんでしたが、井戸水で冷やしたトマトにたっぷりの白砂糖を載せたものを食べさせてくれました。ちょっと驚いたのですが、気持ちがとても美味しかったのです。
手袋を編んでくれたお母さんは、冬支度をする晩秋の頃に登場するのでしょうか。「栗の実」を煮ていた母は思い出しませんが、「干しいい(お釜の底にこびりついた米を水にふやかして、天日干ししたもの)」を炒って食べさせてくれたのが懐かしく思い出されます。母が得意だったのが、「ハンバーグ」と「硬焼きそば」でした。「もう一度・・・!」と願っているうちに、天の故郷に帰って行ってしまいました。ところが、家内の作ってくれる「ハンバーグ」の味が、「お袋の味」なのです。日本から上海経由で帰って来ました晩に、遅い夕食を食べた時に、食卓に、その「ハンバーグ」を並べてくれたのです。子どもたちの育った街の言葉で、言いますと、「まそっくり」だったのです。実に美味しかったので感激してしまいました。これって「嫁の味」になりますね。
日本滞在中、弟の家にいました時に(帰国時の息子の家の他の常宿になっています)、彼が料理を作って、何食も食べさせてくれたのです。十五年前に病気で、彼の奥さんのヨシエさんが召され、それ以来、「男手ひとつ」で仕事をしながら、三人の子を育ててきています。今夏の兄貴の来訪時にも、腕を振るってくれたのです。「筑前煮」などを作るほどの腕です。普段は忙しいので、出来合いのおかずで済ませてると言っていましたが、味噌汁はうまいし、目玉焼きの焼き具合も程よく、キャベツも細かく切っていて、いいかげんにしか作れない自分に比べた腕の良さに驚かされました。十五年のキャリアには負けてしまいます。
年を加えて足が弱くなってきていた母が、「轍ちゃんの家に行って手伝ってあげたいわ!」とよく言っていました。母親とは、息子がいくつになっても心配でならないのですね。我が家の「母親」も、いつも遠くにいる四人の子どもたち(妻や夫や孫も含めて)に思いを向けているようです。男の私には叶わないことの一つです。「ニッポンのお母さん」も「中国のお母さん」も「アメリカの母さん」も、その眼で子どもたちを見守り、手で繕ったり作ったりし、足で訪問したり、心で心配して育てておいでです。二十一世紀の「お母さん」に、心からの感謝とエールを送りたいと思っております。そう、お母さんの代わりをしてきた「お父さん」にも、心から、「ご苦労様!」と言いましょう!
(写真は、秋を代表する花「秋桜(コスモス)」です)