はだし

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韮崎から渓流沿いに車を走らせて、山に分けいる時は、幾つも幾つも「九十九折り(つづらおり)」になっている山道を高度を上げなが登って行きました。多くは未舗装でしたから、凸凹みちで、大雨の降ったあと、川のようになって流れた跡が分かるようでした。春には、新芽が萌え出し、ウグイスの鳴く音(ね)が聞こえ、雪解けの「瀬(せせらぎ)」の音も聞こえ、遠くの高い山の頂には雪が残ってるのが見えました。夏には、時たま涼風が頬をなぜ、汗の流れる首筋に心地よかったり、雷鳴が聞こえ、雷雨に見舞われたこともありました。山奥の寒村で生まれたせいか、昨日の山行きは、古里に帰ったような感じがして、何かタイムスリップしたようでした。

秋には柿をもぎ、栗の木を揺すっては栗をひろい、弦から「アケビ」をもいだりしている兄たちに従って遊んでいました。もっと山奥からは、猟師が打ち取った熊や、家の床の間に「鹿の角(つの)」がありましたから、鹿も「索道(ロープウエー)」で運ばれて、父の家の玄関のわきに置かれていたのを覚えています。そんな野性的な環境の中で、幼児期を過ごしたのです。すぐ上の兄は、山裾にあった「分教場」に通っていました。戦後の父の職場は、「石英」の採掘と搬出から、県有林から払い下げられた木材の伐採と搬出に替わっていたのです。

ヒグラシやフクロウなどの鳴く声だって、耳の奥の残っています。自然そのものの生活環境というのは、私たちの原点なのではないでしょうか。そこから離れた現代人は、多くのことを失ってしまっていることになります。ですから、昨日の深山(みやま)の一日は、水を得た魚のような、山に帰ってきた野猿のような「故郷回帰」でした。

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昨日、家内のお世話してくださった方の夫人に、驚かされたのです。綺麗なワンピースを着て、かかとの高いサンダル靴を履いておられました。それは街中をぶらぶら歩きするのが一番良い、オシャレな装いでした。石が敷かれている遊歩道で、彼女は、そのサンダルを脱いで手に持ち、裸足(はだし)でー歩き始めたのです。「田舎で育った人は、よくそうするんです!」と、都会育ちの人が説明してくれました。それを見ていたら、「裸足で歩いたら気持ち好いだろうな…!」と思った私は真似しようとしたのです。ところが、彼女の歩いている道は、小枝や石ころがあるのです。「痛いだろうなあ!」と思ってやめてしまいました。野生種が枯れてしまったからでしょうか。鼻が高くて目が綺麗で、二十歳(はたち)の息子のいるお母さんなのですが、まさに「野生児」そのものでした。

そういえば、昨日の山で、我々の年代の方を一人として見かけなかったのです。みんな学生風か、小さな子供を持つ親子連れだったのです。「きつい!」ことを知っていて、年配者はこう言った山歩きはしないのでしょう。知っていたらわれわは尻込みしたことでしょうね。一晩の眠りでは、家内の疲労回復はしていないので、日曜日の今朝は家にいることにしました。ネットで講演を聞くことにしましょう!

(写真上は、日本にいた時に行ったことのある「入笠山(にゅうがさやま)」、下は、「塩見岳への登山道」です)

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