もう42年前になりますが、「婚姻届」を市役所に届け出た時、「戸籍抄本」が必要でした。父母の本籍地の市役所から、取り寄せた時、父の戸籍の部分が記録された「抄本」が送られてきました。その時、なぜか二通、送付してもらっていたのです。家内も、同じでした。その残りの抄本を日本から持ってきて、「重要書類ファイル」に保管してありましたので、昨日、それを取り出して、写真におさめ、メールに添付して、娘のところに送りました。私の父の両親の「姓」が違っていることを確認してきたのです。明治期の父の生まれた家系の在り方が、この抄本から読み取れるのです。一般的に、私たちの国では、家族の秘密を、「世間体」を考えて、その事実を隠してしまおうという思惑が働くのです。
私が、分かる範囲で知らせたことに対して、娘から、「辛い過去を考えるのは嫌なことだけど、次の世代に、<歴史の事実>を残すのも好いことだと思うわ!」と返事がありました。孫たちの学校のプログラムで、「歴史」を、ありにままに学ぼうとしているのです。「幼い頃から歴史を教えて、事実を受け止めて、歴史から学ぶ必要があるの。だから将来が考えられるんだよね。」と、親としての見解を知らせてきました。もちろん知らなくて好いこともあることでしょう。ただ曾祖父の誕生の歴史的な事実を知ることは、その血を受け継いでいるひ孫の彼らには、重荷にはならないはずです。事実を知る時、「そうだったの!」と思い、生きることの楽しさや面白さ、辛さや悔しさを知るのは好いことに違いありません。きっと、会ったことのない「ひいじいちゃん」がおぼろげに見えてくるのではないでしょうか。
テレビを一緒に見ていた父が、「こんな場面で!」と思う時に、涙を流しているのを見たことが何度かありました。涙もろさの中に秘められた「歴史」、そして「隠されている過去」があったのでしょう。父の生まれ育った家庭環境や、当時の社会や家庭の在り方、国の仕組みでさえも知ることができるに違いありません。
「歴史の歪曲(わいきょく)」という言葉があります。後世に、事実を隠蔽(いんぺい)して正しく伝えたり、残そうとしないことを言っています。イスラエル民族は、親が子に、「民族史」を教え続けてきた特異な民族です。親が子に口で語り伝えるのです。氏族の恥な過去も、隠しておきたい事実も、家系の明暗両面の歴史も正直にです。正しい歴史観に立つと、過ちを避け、再び過ちを犯すことがなくなります。娘が、「将来を考えられるんだよね!」と言ったのですが、正しい将来を迎えるには、偶然にではなく、「歴史の事実」を学んだ結果、もたらされるものなのでしょう。「関心を持つ!」ためになされる、アメリカの学校の歴史教育、今回のプログラムは、とても良い企画だと思います。多民族国家であるがゆえ、国としての歴史の短さのゆえに、学ぶことも、祖父母の国とは違う背景があるわけです。孫兵衛たちが、目をクリクリさせながら大いに学び、自分たちの「アイデンティティー」を確かにして欲しいものです。
英語では、「家系」を「ルーツ(roots)」と言うようです。土を掘り起こして、自分の根を掘り起こして見る時、驚くべき発見があることでしょう。孫兵衛たちの父母は国際結婚ですから、二親、その両方の父母、また父母と探っていくと、ヨーロッパ大陸にまで伸びて行き、「ウワーッ…!」と声を上げることでしょう。歴史学者のアーノルド・トインビーが、「現代人は何でも知っている。ただ、自分のことが、よくわからないだけなんだ。」という言葉を残しています。「自分のことが分かるために!」、良い学びがなされますように!
(写真は、アメリカ原住民の父が子を教えているレクチャーの場面です)