中国語に、「浪子」と言いことばがあります。きっと海の波のように奔放で、放縦で、自分を波動に任せている様子から、そう呼ばれるのでしょう。日本語に訳しますと「道楽者」とか「放蕩息子」になるでしょうか。模範児でなかった青年期の私も、きっと,世間から「浪子」のように思われていたかも知れません。両親の寵愛を受けて、我侭いっぱいに育てられた井の中の蛙、それが私でしたから。
ある書物に、この「浪子故事(放蕩息子の物語)」があります。その住んでいる世界の「狭さ」と「平凡さ」とに飽き足りなく、不満で心を満たしていました。『きっと遠いあの街には、面白いこと、刺激的なことがあって、俺を満ちたらせてくれるに違いない!』と、日がら思い続けていたのです。父の目も、親戚の干渉も、兄弟たちとの競争も避けたかったのです。それで別世界での生活に憧れ、「新天地」での生活を夢に見始めます。雑誌もテレビも、その別世界が、どんなに素晴らしいかを目と思いとに、はげしく訴えてきたのです。『広さと刺激に満ち溢れて楽しい世界だ!』と、すべての情報は誘っています。そうなると、日常の義務が手につきません。遠い空を眺めては、ため息をつくばかりです。その夢の実現のために、大雑把な計画を立て始めます。どんなに算段してみても、彼には自立する能力も資金もないのです。それでスポンサーを捜しますが、この未熟な男に用立てる大人は皆無です。叔父や叔母は全く相手にしてくれません。銀行だって貸してはくれないのです。
それで父の財産の「次男の相続分」に食指を動かします。それは父親の存命中には、相続することはできません。それで父親の泣き落としにかかります。その芝居のうまさに、騙されやすい父は負けてしまうのです。それで相当分の財産を分与してしまいました。彼は旅支度をして、父と母と一緒に育った兄を、故里と共に捨てます。大金が彼の手に握られているのです。憧れの地にやってきた、こざっぱりした身なりの彼の周りには、大勢の若者たちが群がってきました。金払いの良い彼は、おだてられると湯水のようにそのお金を使っていくのです。彼らと過ごす時間は、夢のように過ぎて行きました。夢から覚めて、ポケットの財布を開き、銀行の講座をの残高を見ますと、一円も残っていません。無一物のなったことを知った遊び仲間は、潮がj引いていくように彼の元から離れていきました。完全な金銭的な破産でした。そればかりではなく、精神的にも破綻をきたしていたのです。夢が、これほど短時間に、しかも容易に砕けて仕舞うとは、夢にも思いませんでした。その現実に直面して、初めて彼の目が覚めるのです。
「瞬きの間の独り芝居」という名の幕が上がってしまうと同時に、彼は父の家を思い出すのです。幼い日から、ふるさとを捨てた日までの楽しい思い出が走馬灯のように思いの中を巡ります。父の笑顔と、その額から流れ落ちていたの父の汗を思い出します。そして、『きっと父は、私のために涙だって流しているに違いない!』と思い始めると、いても立ってもいられなくなりました。『そうだ、父の家に帰ろう!』、そう思うと同時に、彼は、故里に向かって歩き始めたのです。はかない夢から覚めたたのです。父の家に近づいた時、彼が父を見つけるよりも早く、父が見つけてくれていました。彼が走るよりも早く、父が走り寄って来たのです。父は裸足でした。父を裏切り傷つけた彼を抱きかかえ、幼い日にしてくれたように頬ずりをしてくれたのです。まるで私が遠い過去に負った傷を癒すかの様にしてです。
父は何も詮索しませんし、責めもしないのです。彼が、幼い日に「父に愛される子」であり、父を無視し捨てた今でも「父に愛される子」であることを知らせてくれたのです。この父の愛は、彼の行いや時間の経過によって、色あせたり変化したりしないのです。彼の兄も親族も、好き勝手をした彼を受け入れようとはしません。ただ父だけは、『きっと帰って来る!』と信じて待って、無条件で受け入れていてくれたのです。失敗体験と恥体験とによって、自分の実態が分かって帰ってくることをです。次男の回復を天に委ねたのです。父の包容力、父性の豊かさが、どれ程のものであるかを彼は知ることができたのです。彼は《父の財布》にだけ期待していたのですが、帰って来た彼は、祈りつつ待ちつつ走り寄る、《父の思い》を知ることが出来たのです。父の懐って、こんなにふかふかで暖かく、居心地が良かったのを再発見したのです。
厳格な私の父を、ときどき思い出しますが、そのほほを流れる涙を見たことがあります。そんな父を見て、『男だって泣いていいんだ!』と思わされたのです。だれの人生にも、さまざまなことがあるのでしょう。自分も、何度泣いたことでしょうか。涙とは、心の思いを洗ってくれるものなのかも知れませんね。この物語のお父さんのほほにも、子を思って流す涙があったにちがいありません。