私たちの四人の子供たちにも、孫たちにも、帰って行く「実家」がありません。というのは、私たちが5年前に中国に来る時に、家財一切を処分して、家を畳んでしまったからです。世帯を持ってから、持ち家に住んだ経験はなく、いつも借家のアパートや市営や県営の団地に住んできたからです。結婚してから35年の間、子どもたちの想い出のこもった物もほとんどを処分してしまいました。長男は、手狭な家に住んでいましたし、長女はシンガポールに本拠地を置き、次女はアメリカに嫁ぎ、次男は聖蹟桜ヶ丘のワンルームマンショに住まいでしたから、親の持ち物を置く空間がなかったからです。わずかな物を預けておいたのですが、迷惑になることもあって、その後、帰国時に処分してしまいました。
そんなこんなで日本を出ましたから、最後に、家族全員が集まったのは、2006年の正月だったでしょうか。長男が中学を卒業して以来、ハワイの高校に入学してから、家族六人が、団欒を共に過ごす時間が徐々に少なくなってきてしまったのです。この正月の時期、ここ中国でも、「春節」には、故郷の家族のもとに戻り、その団欒を楽しむ習慣があるようです。私たちも、友人が安い家賃で貸してくださった家、狭い二間に、娘の家族を迎えたりしましたが、結構、正月の寒い時期にも、みんなで寝たり交わったりすることが出来たのが不思議でした。
ここ中国でも、友人の家をお借りして住んでおりますから、まるで「寄留者」か「巡礼者」のようにして生きていることになります。もちろん、「外国人」でありますが。『不安にならないですか?』と言われますが、こういった生き方も慣れますと、身軽で快適なのです。不思議なものです。ただ、家族が一緒に集まる場所がないのは、子どもたには、『帰って来れる家がなくてごめんね!』と思ってしまうのです。
昨日今日、正月恒例の「箱根駅伝」が日本では行われていました。今年は、パソコンでラジオ放送を聞くことができましたので、『早稲田総合優勝!』という結果を、NHK第一放送で聞くことができました。これを聞いていたとき、ミカンをむきながら、おせちり料理をつまみながらテレビの放映を、『家族で見られたらなあ!』、との思いが湧き上がってきてしまったのです。日本を発つ直前に、挨拶に来てくださった、日本人の女性と結婚されたアメリカ人の友人が、『我が家は、お子さんたちの実家ですから、そう思ってくださいね!』と、うれしいことを言ってくれたのです。
と言っても、もうすでに世代交代の時期でしょうか、ある方から、最近、『息子さんの扶養家族になられたらどうですか?』と勧められました。『そうか、もう息子の家に集まればいいのか!』と思えばいいのでしょうか。アメリカにいる次女が、『ここに来ればいいよ!』と言ってくれたり、次男も、『俺が面倒みるから!』とも言ってくれています。
まだまだ元気に働くことも出来ていますから、健康が支えられている間は、問題がないのですが、昨秋、家内が病みましてから、ちょっと弱気になってしまいました。子どもたちの意見に耳を傾けないで、自分で思うように、大分頑なな生き方をしてきましたから、最近は、いろいろとクレームがつき始めています。日本人と正月の関係には、意外と微妙な情緒的な面があるのでしょうか。昔読んだ本の中だったと思いますが、正月は、普段賑やかに生きている人にとっては危機の一つなのだと書いてあったのを思い出しました。
でも懐かしい故国があって、そこに懐かしい人たちがいますし、そればかりではなく、友情を示してくれる友人たちがこの大陸にいてくれるのですから、『遙かなる永遠の故郷に帰るまで、巡礼の旅を続けていこう!』と、年頭にあたり、そんな決意をしたところです。ご心配なく!