夫婦

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『昨年の年末に、大喧嘩をしてしまったんです!』と言うご夫婦がいます。それまで、そんなに本気で、夫婦で衝突したことがなかったのですけど、本気で思っていることを、感情に任せてぶっつけ合ったそうです。小学校三年生の息子さんmがいるのですから、10年以上の結婚生活を共にしてきて、正直に気持ちを込めて言い合ってから、夫婦の関係が強くなり、吹っ切れたそうです。

それ以来、ご主人と共に過ごすことが多くなり、よく、”カード遊び“に出掛けていたご主人が、家にいるようになったようです。おっとりしているご主人に対して、"やり手"の奥さんは物足りなさを感じていたのかも知れません。ご主人への期待が大き過ぎたのでしょう。それ以降、そう行った気持ちが少なくなってきているようです。

吉野弘に、「祝婚歌」と言う詩があります。夫婦のあり方への勧めとして有名です。

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと
気付いているほうがいい
完璧をめざなないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

改めて、この詩を読みますと、『そうだよなあー!』と思ってしまいます。お互いに肩や肘を張らないで、期待過剰、また関心希薄にならない関係を保つことの勧めでしょうか。この奥さんは、『夫への愛が強くなったのです!』と言うのです。自分の思うような夫になって欲しいのが、夫にふさわしい妻になろうとしたからでしょうか。円満円満。

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宝庫

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あの「入笠山」に、こんなに多くの種類の花が咲いてるのには驚かされます。頂上を極めるだけの「登山」だけしかしなかったのが、随分損をしていたんだと、今になって分かりました。「湿原」を歩いたのですが、観察ではなく、ただ雰囲気を味わうだけで、花々を見る事をしなかったのは、残念なことでした。

あそこは「自然の宝庫」、「花の宝庫」だったのですね。中学一年の時に、一人で、五日市線の終点駅で降りて、そこから山に向かって歩き始めたのが、初めての登山(ハイキング?)でした。ただ山の中に分け入ってみたくてでした。道の脇で働いていた木こりのおじさんが、猥雑な事を言っていました。中一の私には、父が、そんなことを言ったことがなかったので、ちょっと驚きでしたし、大人不信に陥ったりの経験でした。

でも、奥多摩の山の匂いと、踏みしめる山道の感触は、快適でした。まだ登山ブームが起こる前の事でした。五十くらいの頃でしたか、深田久弥が登山中に亡くなられた、「茅ヶ岳」にも登った事もありました。この花は「サクラソウ」、「キバナアツモリソウ」、「ツマトリソウ」です(☞「里山を歩こう」から)。花を理解しめでる人は、生きている、こんな喜びや楽しみがあるのですね。

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柳絮

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2007年の5月頃でしょうか、天津の語学校で、中国語を学んでいました時に、自転車で通学していました。その朝、街の中を、白い「わたげ」のようなものが飛んで、幻想的な光景を見せていたことがありました。タンポポが咲き終わった後に似た光景でした。吹き溜まりに、雪の様に集まって、吹く風に揺れているのです。

街いっぱいにあふれるといった感じでしょうか。それを、「柳絮(りゅうじょliuxu))」と言い、学校で、先生に聞くと、北京や天津など東北地方の風物詩なのです。まるで雪が降っているよう様に感じられ、私が育った田舎や東京の都下の街では見たことがありませんでした。

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昨日配信された「HP里山を歩こう」に、この「柳絮」の写真(このサイトに投稿されてあったものです)が載っていました。埼玉県の志木市辺りを流れる「柳瀬川」で撮影された写真(上の写真です。下は、中国のサイトからダウンロードしたものです)です。今頃の日本でも、飛ぶのですね。

11年前の天津では、街中が、まるで雪が降った様に、白くされていて、その「柳絮卯」を避けたり、手で払いながら自転車をこいでいました。『ああ、中国に来たんだ!』と思った事でした。

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入笠山

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いやー懐かしい!これは「入笠山(にゅうがさやま)」に咲く花だそうです(☞「里山を歩こう〜八ヶ岳編〜」から)。この山は三度登った、いえ、正確に言うと、二度半登った事があります。二度は、子どもたちを連れて、駐車場から登山道を登りました。頂上に立つと、まさに360度の眺望が開けて、晴れていましたから、爽快でした。それで大好きな山になったのです。

3度目には、爽快な気分を満喫させて上げたくて、家内を誘って、同じコースで登り始めたのです。登るに連れて、雪があって、徐々に多く、深くなって行くではありませんか。二日ほど前に、諏訪周辺は雨だったのです。それを考えないで、11月に、山登りを実行したわけです。平地や麓は雨でも、11月の山(2000m弱)では初冬の雪だったのです。このままでは、"初老の夫婦、入笠山で遭難!"になってしまうと、登山を中止し、林道に向かったのです。

閉まっている案内所の軒下で、お弁当を食べて出た林道は、雪が積もっていて、鹿やウサギの足跡さえ残っていました。凍ってもいたのです。家内には、凍った雪道を歩くためのゴム製で、着脱できるスパイクを履かせたのですが、一人分しか持っていきませんでした。三回ほど、私は滑って転倒していまい、家内は泣き出してしまったのです。

林道を幾つも曲がっては進み、曲がっては進むのですが、車を停めた駐車場に、なかなか至りません。もう夕暮れになってしまっていました。スズランが群生していたり、原生林が広がる綺麗な山なのに、ここで死んでしまっては、申し訳ないと、家内を励まし、家内は私を励ます、そんな家内の手をとって、やっと下山した、そんな思い出のある山なのです。

「サラサドウダン」、「ホテイアツモリソウ」です。今頃の入笠山には、こんなに綺麗に咲いているのですね。もう一度、春か初夏にでも、四度目の入笠山に登ってみたくなりました。

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クリンソウ

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これは、八ヶ岳に咲く「クリンソウ(九輪草)」です(☞「里山を歩こう」から)。この深紅の花の鮮やかさは素晴らしいですね。

現在の中国、内蒙古に、「満州里」があります。ロシアとの国境にある街で、戦前は、日本人も多く住んでいたそうです。そこを歌った「満州里小唄」と言われる歌があるのです。その歌詞の中に、「アゴニカ(下の写真)」という花が出てくるのです。これも真っ赤、深紅の花を、春の到来を告げる様に咲くのだそうです。和名は、「モミジアオイ(紅葉葵)」と言うそうです。

種の中に、こんな深紅の色を蓄え持つ事に驚かされます。満州里でも八ヶ岳でも、春は鮮やかに、《真っ赤に萌えるが如し》、なのでしょうか。

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不協和音

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先日、出先で、一人のご婦人 とお話をしていました。家内は、隣で他の方と話をしていて、途中から、私たちの話に加わってきたのです。近くに住んでいるご主人のお母さん、「姑」との関係についてでした。結局のところ、どんなに素晴らしい姑でも、それは、どうすることもできない、《母親の性(さが)》なのでしょう。はっきり言ってしまうと、<夫の母親は嫁が気に食わない!>のです。時の古今、洋の東西を問わない、繰り返され続けている諍(いさか)い、不協和音です。

自分のお腹を痛めて産んだ息子に、最善の嫁を願うのですから、どんなにできた嫁でも、<帯に短し襷(たすき)に短し>なのです。その「姑」も、嫁に来て、夫の母親に、そのように思われていた可能性が大きく、結局は、繰り返されて来た問題なのでしょう。時には、『うちの嫁は最高です!』と聞く事がありますが、お嫁さんの意見も聞かないといけませんね。

お姑さんの好物を、時々届け、感謝や関心を示す内に、『この息子も私に似た息子だし、まあいいか!』になるのを、忍耐して待つことなのでしょう。このご婦人も、一人っ子の息子が結婚した時、同じ思いになるのではないか、とおっしゃっていました。

歩くのもやっとになっていたお婆さんを時々訪ねると、優しくって、いいばかりの方でした。でも、嫁に行った娘たちは、一緒に暮らしている、お兄さんのお嫁さんを、<鬼嫁>だと言うのです。陽の当たらない脇部屋に追いやってしまって、私たちが訪ねると、座敷に招き入れ、そこからお姑さんを呼ぶのです。

私は、訪ねる時、この兄嫁に同情を示して、その労を労う(ねぎらう)事にしていたのです。何かお土産を持参する時も、お嫁さんに、『何時もご苦労様!』と言う気持ちで渡したのです。この可愛いお婆ちゃんは、若かった時に、しっかり<姑業>をやって来たに違いないと見たからです。辛い思いをしてきて、ご長男に代を譲って、お嫁さんが、台所の主になってから、<仕返し>までもいかずとも、されたことを、少しはしてるに違いないと踏んだのです。

この関係は、他人が軍配を上げるわけにはいきません。先程、申しました様に、感謝や関心を向けて、愛を示す以外にないのでしょう。私の母と一緒に住まなかった私の家内でも、結構、姑の矛先(ほこさき)を感じていたようです。母には、『三男の嫁には!』と意中の嫁候補がいた様です。もし、その女性と結婚しても、やはり母の理想には程遠かったに違いありません。息子の母親とは、そう言ったものなのでしょうか。

この戦いは、『何処まで続くぬかるみぞ!』に違いありません。もちろん例外もあります。『うちの嫁は・・・』と訴える姑もいます。賢く、適当の距離を置く事なのでしょうか。姑が弱くなると、攻守が交代になるのかも知れません。もちろん、素晴らしい関係をお持ちの方々もおいでです。察するに、この地上には、嫁や姑の沢山の涙が零されてきた事は事実なのでしょう。

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朝顔

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今年の一月に咲き終わった「朝顔」の鉢の土に、手を入れて、そのままベランダの隅に置いておきました。ところが、その鉢から2つの芽が出てきました。

実は今季は、日本に帰国したら、新しく種を買って、その種を持ち帰って植える予定でした。ところが、忙殺されてしまい、買い忘れて、こちらに戻ってしまったわけです。この何年か続けてきましたから、『今年も!』と思っていたので、残念だったのです。そこに、芽が出たのです。

どんな花をつけてくれるか楽しみです。また、「2018年版あさがお便り」ができたらいいと、ワクワクしている朝です。

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悲鳴

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折々の季節に、中華民族のみなさんは、こぞって、同じ食べ物を食べる習慣でしょうか、そんな風習をお持ちです。この季節、「端午節duanwujie」には、《粽子zongzi》を食べるのです。「粽(ちまき)」です。蒸したもち米に豆や肉や、それぞれの家の作り方に従って、"テトラ"の形にして、笹の葉でくるんだものです。

先週、二人では食べ切れないほど頂き、先おとといも、結構な量の「粽子」を頂いたのです。 母の故郷から、子どもの日の前になると、この「ちまき」が送られてきて、母が蒸してくれて、砂糖醤油で食べました。米の粉で作られてあって、同じ様に、笹の葉で包まれていたでしょうか。こちらのとは、かなり形状も味も違っていました。笹の匂いがして、素朴な味、祖母の味でした。

中国の戦国時代、楚の国の「屈原(くつげん)」が、自分の進言が受け入れられずに、失脚を苦にして、汨羅江(べきらこう)で入水てしまいます。この屈原への同情でしょうか、汨羅の流れに、米を流して、屈原の亡骸が、魚に食べられない様に願って、行われ始めた風習が、「粽子」の始まりだそうです。ちょっと悲しい物語ですが、屈原と言う人は、民衆に、人気があった政治家であり、詩人だったのです。

ーそれが旧暦の五月五日で、その日を記念して、ここ中国では「端午節duanwujie」として、その日を守ってきています。今年は、6月16日で、中国の法定祝日的,18日まで三連休になります。日本では、新暦の5月5日が、「こどもの日」の祭日でした。

そして、昨夕も、また「粽子」を頂いてしました。朝から一日中、多くを作って、私たちに下さるつもりで、作られた様です。『どうしよう?』、冷蔵庫に入らないので、食べる以外になさそうで、うれしい悲鳴です。

(横山大観が描いた「屈原」です)

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目に森と青空が

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父は、中部山岳の山中で、鉱石を採掘する仕事を、戦時中にしていた関係で、わが家には、木こりの方が射止めたのでしょう、加工された「鹿の角」の実物が、置物としてありました。良い物を着て、履いて、使っていた父ですが、掛軸とか宝石とか刀剣など、宝物を一切持ちませんでした。きっと、《四人の息子》こそが、父の一番大切にしていたものなのでしょう。いえ、母が、父の一番の助け手だったのでしょう。

床の間に、父の掘った石英の「水晶」と、それほど由緒のある様には見えない掛軸と、この「鹿の角」が置いてありました。ところが、人に物を上げるのが好きな父でしたから、いつの間にか、それらが家からなくなっていました。それ以降、ずいぶん殺風景な床の間になってしまっていました。

この写真は、中部山岳の八ヶ岳で撮影された、「ニホンカモシカ」です(☞「里山を歩こう」から)。中央線を、松本に向かって、甲府を過ぎたあたりから、眼前に眺められる”麗峰・八ヶ岳“、実に泰然として圧倒させられるのですが、この山の東側のいくつか越えた沢で生まれた私は、そこに鹿が多く生息してるのを知っていました。

父の仕事で使っていた「索道(原石を山奥からトラック基地に運ぶケーブルカーの事です)」で、熊や鹿が、よく運ばれて来て、策動の巨大なモータの脇に寝かせてあるのを見たからです。きっと、鹿や熊や雉(きじ)などの肉を、鍋にして食べて、私たち四人兄弟は育ったのだと思います。

鹿の角には、よく刀剣が置かれているのですが、わが家にはありませんでした。気の荒い男の子だらけの家に、そう言ったものを置かなかったのは、父の配慮だったのでしょうか。「ニホンカモシカ」って、こんな可愛い目をしているのですね。この写真に、『眼に森と青空が写っていました!』と、コメントが、一言添えてありました。

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潤滑油

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この街では、「市バス」が、驚くほどの数の路線で、市内を縦横に走行しています。ほとんど路線の運賃が、「一元」で、一区間でも、始発から終点まででも、同一なのです。例外的に「二元」がありますが。それで、私たちの移動のほとんどは、歩きか、この「市バス」を利用しています。

この市バスに乗車するために、日本の“Suica“の様な「バスカード」が何種類かあるのですが、家内は一般的なものを使っていて、10%割引の「0.9元」で乗れます。同一カードで、何人でも利用できるのです。昨日は、「充值chongzhi」と言って、カードが欠費してしまいましたので、最寄りの出張所に、夕方、散歩も兼ねて行って、200元を入金してきました。

何と、そこには70人もの列ができていたのです。忍耐のない私には、この並ぶというのが、極めて難手なのですが、最近はできる様になってきているのです。その列の末尾について、小一時間並び続けて、やっと「充值」をいたしました。「新カード」に変える時期だった様で、その列の意味が分かり、真新しいカードに交換してもらって帰ったのです。

「充值」を終えたので、その業務をして下さった係の方に、『谢谢!』と言ったら、窓越しに、私の顔を見直して、意外な顔をされ、驚いた表情と、嬉しそうな表情を見せて、「不客起bukeqi」と小声で言ってくれました。なかなか、みなさんは『ありがとう!』と言わない様です。ご苦労様と感謝を兼ねての、ご挨拶でした。

あの方も、ちょっと好い気持ちになったでしょうし、私も好い気持ちで帰る事ができたのです。どこの国で、感謝と労いは、《関係の潤滑油》になるに違いありません。言われた自分が気持ちが好くなるのですから、いわんや誰でも、そう言われたら、嬉しいに違いありません。珍しく雨のない一日で、風も心も爽やかにされた夕べでした。

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